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G・ガルシア=マルケス
予告された殺人の記録

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書誌

authorG・ガルシア=マルケス
editor野谷文昭(訳)
publisher新潮文庫
year1997
price400
isbn10-205211-9

目次

1本文
2抄録

履歴

editor唯野
2002.6.25読了
2002.6.28公開
2006.2.2修正
2012.1.18タグ追加

ガルシア・マルケスのジャーナリスティック的傾向を持った作品。解説によると、実際に本書は当初はルポルタージュとして書かれることを想定してしたらしい。しかし、当の事件(1951.1.22)に親族や知人の関わっていた部分があり、母親の反対もあって断念し、結果的には歳月を経て小説として結実したわけである。

また、これはたまたまなのだが最近読んだ鎌田慧の『ルポルタージュを書く』の中で、本書が取り上げられていたので少し驚いた。むろん、鎌田慧の場合はあくまでもルポルタージュにとっての構成上の観点から得るところが多いという指摘なのだが、なるほどいわれてみればそういう見方もできる作品だと思う。

物語的にはタイトルにもある通り、周囲が被害者の殺されることを知っている状況の中で起こったある殺人事件を追ったものになっている。実をいうと全体的にあわただしく読んだため、のめりこむというよりは機械的に読み流した感が強く、あまり感慨がない。時間がないからといって読書の中味まで空洞化するというのは、こういうのを指すのだろう。

追記

上述した鎌田慧の本で本書について触れた箇所というのは以下の通り。(2003.1.1)

ガルシア・マルケスの『予告された殺人の記録』は、構成について考える場合はよい材料です。一章でひとつの話が完結するかたちで次につながっていく。章のはじまりと終わりとがものすごく工夫されています。それから、ジョージ・オーウェルの『象を撃つ』(『オーウェル評論集』岩波文庫)。これは、象を撃ちたくなかったけれど撃たざるをえなかった、その民衆の無言の圧力とイギリス植民地主義者の恐怖がよく出ています。

マルケスの作品はコロンビアという地域を内部からみていて、ひとつの共同体みたいなものをよくあらわしています。内側からと外側からの視点を考えるためには恰好の材料なので、この二つくらいはぜひ読んでおいてください。(p.90)

抄録

144-145 (解説より)

ガルシア=マルケスの作品に絶えずつきまとうのは、崩壊感覚と、表現は不適当かもしれないが、冠婚葬祭である。そして崩壊するあるいは崩壊したのは、共同体、別(わ)けてもその人間関係である。共同体が描かれる以上、その重要な要素である冠婚葬祭がつきまとうのは、むしろ当然と言うべきだろう。本書『予告された殺人の記録』は、まさにその共同体に置ける冠婚葬祭の記録と見ることもできる上に、それが短い時間の内に凝縮されているため、印象は実に強烈である。