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中国 = アメリカ論

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小人な議論はやめましょう

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editor唯野
2020.6.13公開
2020.6.15修正

かなり前々から思っていたことだが、日本から見た中国とアメリカは同じようなものである。そのためネトウヨに限らず中韓を嫌悪したり攻撃したりする発言を目にすると、私には極めて滑稽にしか見えない。我が国の歴史の中でも、わずか明治以降の100年程度しか見る眼のないことを露呈しているからだ。

わずか100年程度、明治以前まで遡れば、いうまでもなく当時の日本にとって、今でいうアメリカは中国だった。中国こそがお手本であり、文化の流入元であり、いってみれば先進国だった。律令制、儒教・仏教、漢字はいうに及ばず、中国や朝鮮半島を経て日本に入ってきたものは枚挙に暇がない。

私は右翼・左翼とかいう20世紀的な古いラベリングに興味はないが、三島由紀夫に限らず右翼系の愛国者(?)には儒教礼賛者が多い。けれども、これだって元をたどれば中国生まれである。江戸時代における朱子学・陽明学に限らず、仏教における密教・禅宗なども中国由来である。

太平洋戦争において日本は近代化に後れを取った朝鮮・満州を植民地化したが、アメリカを含む連合軍に敗北して占領された。そのため戦後の日本がアメリカ追従となったのは当然の結果かもしれないが、それは単に仰ぎ見る相手が変わったというだけのことだ。上述した文化に匹敵する、あるいはそれ以上のものを、わが国が逆に生み出しているのかと問えば、答えは明らかであろう。

そうやって考えてみると、私からすれば中国 = アメリカである。極東の島国にとってみれば東にあるか西にあるかの違いでしかない。それゆえ、中韓を見下す発言を目にしても、私には明治以前の中国に対するコンプレックスの裏返しにしか見えない。そして、今やGDPや人口という規模にとどまらず、家電やITでも両国は日本以上の強みを持つ分野を有している。ところが、それにも関わらず、そういう相手の優位を認められない、そういう話になると耳に蓋をするのであれば、私からいわせれば、それは小人(しょうじん)である。

小人とはいうまでもなく論語に登場する君子の対義語だ。論語に有名な「君子は周して比せず、小人は比して周せず(君子は広くかたよらずに人と親しむが、小人は小さなかたよった党派を作りがちである : コトバンク)」という言葉があるが、ここで誰が小人なのかはいうまでもないだろう。論語の言葉が本当に孔子のものかどうかは別としても、およそ2000年も前に既にこのような思想が生まれていたのであれば、現代の我々とて君子の方を目指さなければならないのは、いうまもでないことである。

アジアで他国に先駆けて近代化・民主化を達成したのが我が国なのであれば、それを更に政治的にも経済的にも超克する姿を率先して呈示することこそが、今の日本に与えられた役割であるし、中韓に対して最も効果的で畏怖せしめることだと私は思う。それは民主的・平和的な仕組みを整え、将来を先取りした自国の強みを活かせる産業を育成し、加えてそれを担う人材教育を施すことであって、隣国とレベルの低い争いをすることでは全くない。

偏狭なナショナリズムは前世紀の遺物であり、そういうものこそ小人な後進国の証しだ。しかし、隣国を見下すことでしか自国を正当化できないようであれば、彼我の差は開くことはあっても縮めることは困難だろう。願わくば後世における我が国が大航海時代を経て没落していったスペインと同列の扱いを受けることは避けたいものだが...

# もっとも、それ以前しての近代化が常に正しいのかどうかという問いもあるが、それはまた機会を改めたいと思う。

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