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PC(Personal Computing)とは何か ?

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メイドインアビス風にいえばPCこそ欲望の揺籃です !

8巻 p.66より

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editor唯野
2020.8.22公開

PCというと普通はPersonal Computer、いわゆるパソコンのことを指します。メインフレームがミニコン、ワークステーションを経てパソコン、ノートパソコン、PDA・スマホへと進化(ダウンサイジング)してきたことは今更いうまでもないところです。それでは、我々にとってPCとは何でしょうか ? もっといえば、PCは我々に何をもたらしてきたのでしょうか ? もしくは上記の進化はどういう方向を志向して起こったのでしょうか ?

これに対する私の答えは「PCとは個人でできることを増やすツールである」というものです。PC = Personal Computerはあくまで道具に過ぎません。それを使う人間が必要である以上、むしろPCはこういった文脈ではPersonal Computingとして捉えた方がよいということです。

だからこそ、PCが我々に何をもたらし、それがどういう方向で進化してきたか、何が魅力的であり、どこに将来性があるのかを考えるとき、その本質は「パーソナルなマルチツール」ということになります。俗にいえば「個人の実現欲を何でも取り込むプラットフォーム」です。PCやスマホはそれをより可能にする方向でデバイスの形状が変わってきているだけ、ともいえます。

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商売、殊にメディア関係などはよい例です。少し前であれば大きな資本・設備や人数を集めなければできなかったことが、今なら「個人だけ」でも完結できます。そして、それが確実に広範囲・高度化しつつあります。音楽なら打ち込みを併用すれば一人バンドも可能ですし、ボーカルさえボーカロイドを使えば振り付けまで思いのままです。そして、それを自分で編集した他の映像とミックスして公開(=プロデュース)したり、ゲームや実況だってできれば、メディアミックスして収益まで上げられます。そのため個人的にスマホは完全にPCの延長線上です。要はPCの敷居を更に低くしつつ場所から解き放ち、「個人でできること」を「どこからでも」可能にしたツールだからです。

ここで「パーソナルなマルチツール」としての大きな特徴のひとつは、それをどう使うかのみならず、何を選ぶかもユーザーに完全に委ねられている点が挙げられます。つまり、機能というものが広範にオプション化されており、選択自体がユーザー次第ということです。

少し話がずれますが、私は日本の主に家電メーカーが凋落した理由はここにあると考えます。日本メーカーは小型化を得意とし、そこに多くの機能を詰め込むことに秀でていました。それが付加価値として認知されていたわけですが、恐らく大部分の方がそうであるように、いくら多機能でもその全てを使いこなした人は稀でしょう。そうなると多機能は確かにある種のニーズを満たすかもしれませんが、全体としての満足度は多機能になればなるほど低くなっていくことになります。

これをPCと比べてみてください。PCは多機能家電の比でなく多機能です。いちいち列挙するまでもなく、ほぼあらゆることができます。しかし、そこに膨大な機能のためのボタンやメニューがあるわけではありません。機能は選んでインストールするものであり、オプションとしてオン・オフできます。ここには多機能性(高付加価値)に対する明らかな発想の転換があります。私にいわせれば日本のガラケーがガラケーたる最大の所以は、この多機能性を本来であればPC風のオプション・モジュールとして扱うべきところを、旧来の日本の家電方式(メニューの増殖)で提供していた点です。多機能なのに本体やメニューは至ってシンプルというAppleの成功は、多機能性の見せ方・引き算がスマートだったということです。

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それゆえ、PCがこれからどうなっていくのかの答えも同様となります。そう、あくまでも「より個人ができることをあらゆる面で増やしていく」のです。とはいえ、デバイスがスマホまで極小化され、OSやオフィスソフトがキラーアプリでなくなった時代において「単に何かができる」だけで突出するのは難しい。AppleがiPhoneを超える製品を生み出せず、当のAppleやMicrosoftが次第に決済やコンテンツ・プラットフォーム、サービスの連携に力を入れつつあるのは、ある意味で当然といえます。

とはいえ個人的にブレイクスルーになると考えるのは、やはりコミュニケーションツールです。それが将来はAI相手になる可能性もありますが、過去におけるメール、blog、SNSといった歴史を見れば一目瞭然でしょう。結局のところ個人でやれることが増えたとしても、それを認知・承認し合うためには他人を必要とするのが人間社会だからです。そして、PCはバーチャルなものさえ含めた個人の欲をくみ取る道具であるがゆえに、それを凌駕するものが現れない限りなくなることはありえません。少なくともその間は、個人の欲のプラットフォーム(『メイドインアビス』風にいえば欲望の揺籃)として存在し続けるのだと思います。もちろん良い意味も悪い意味も全て含めてであり、そういう意味でも「揺籃」は極めてしっくりくる言葉です。

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