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メディア内メディア

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editor唯野
2000.10.8公開
2001.8.1修正

今はなき『朝日ジャーナル』という雑誌の最終号で個人的に強く印象に残っている記事がある。それは漫画の現状を扱った一文の中で使われていた(誰が書いたのかなどはもう覚えていない)「マンガ内マンガ」という言葉についてである。

これは要するに、今日では巨匠扱いされている戦後漫画黎明期の人たちが「漫画」というメディアを作るために文学や映画といった既存の他のメディアを貪り、そこから得たインスピレーションなり何なりを漫画の中へフィードバックしていったのに対し、現在(といっても記事が書かれた当時のことだが)の漫画では漫画を作るための材料自体を漫画に求めるというべきメディア内再生産に陥っていることを批判したものだ。もちろん、過去の名作なりから得るものもあるのだろうが、同一のメディアだけに依拠してもメディアのクリエイターとしてはどうなのか ? という内容である。

現実の漫画界が現状どうなのかはさておき、私としては「それじゃあインターネットというメディアではどうなのか」ということが気になる。いうまでもなくインターネットは新しいメディアとして既に大きな影響力を持ち始めている。(どこまで本当かは知らないが)テレビの深夜番組がネットのアングラサイトの情報を元ネタにしているという話や、テレビ CM に割と当り前に URL が出てくる辺りなどを見れば、それはある意味正しい。しかし、ハイパーリンクやマルチメディアなコンテンツだけがネットの新しさではないだろう。私にいわせれば、やはりインタラクティブ(双方向的)であることが非常に大きいように思う。

自分で Web というものを作ってみて何よりも驚かされたのは、Web というものにおける「未完成性」である。つまり、はっきりいって終わりがない。Web における更新頻度の重要性は図らずも、このことを暗示している。なぜならそれは「情報としての新しさ」という以上に「情報としての連続性」を示していると思うからだ。(これは別のいいかたをすれば「建設中のまま放置できる」ということである。)そして、それは携帯電話のような移動体メディアにおいても同様である。コミュニケーションというもの、それ自体がインタラクティブであり未完成的なものであることを考えると、インタラクティブなメディアほど未完成性という傾向を持つといえる。結果、そういうメディアの広がりは「変化し続けることが常態」といわれるコンピュータ業界の在り方が、それ以外の産業や人々の意識そのものというレベルにまで広がるであろうことを意味している。

そうなると政府の悠長な言葉だけの話(IT はイットと読むのが首相の公式見解らしい :-))など相手にせぬかのように、Web 時間とでもいうべきものが、変化における基本単位になるのも遠いことではない。近代は確実に「時間のスピード」を早めてきた。それが更に早くなるわけだが、そこでの「マンガ内マンガ」ならぬ「インターネット内インターネット」は何かといえば、それは過去の常識そのものになる。例えば、少し前までネットの世界では「限られた帯域を有効に使うためメールのシグネチャは長くとも 4 行まで」などというのが一種のネチケットだった。しかし、現在にそんなことで説教をたれる人はいない。ギャグ的に使われるのがせいぜいだろう。

メディアとしての中身がどう再生産されているかよりも、再生産そのもののスピードの問われるのがインターネット時代における「メディア内メディア」の中身ではないかと私は考える。そして、(既にそうなのだともいえるが)そのスピードがビジネスの世界での常識になったとき、同じスピードが政治の側などにも求められることになる。即ち、そこでは逆に既存のメディアの側が新しいメディアの持つ「メディア内メディア」の論理によって「過去の常識」の捨てることを求められる。IT 革命が最終的にもたらす変容のレベルとは、そういうことである。

そんな「変化のスピード」への自覚のなさこそが今の政府がいう IT 革命の内実を如実に物語っているともいえるが、我々も笑ってばかりはいられない。なぜなら、そういう変化への対応は個人としての我々自身にも求められてくるからである。もちろん、それに対する批判やアンチテーゼは出てくるだろう。しかし、この消費社会が続く限り、この変化はほとんど必然といってよく、それに無自覚でいられる日々もそれほど長くはないだろう。