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漫画とジェンダー

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editor唯野
2002.10.6公開
2002.10.15修正

この頃の俗説によると漫画・アニメは日本が世界に誇る「文化」なのだという。確かにそれが日本から見て輸入よりも輸出の多いメディアなのは事実だと思うが、一方で最近の漫画が非常に「おもしろくない」のも否定できないことであるように思われる。

私が以前から日本の漫画というものを見ていて特徴といってよいように思うのは、それが非常に性差を意識したメディアであるという点だ。例えば少年漫画といい、少女漫画という言葉ひとつみても、それは歴然としている。(テレビ番組やテレビゲームの方がもっとゆるやかだ。)最近では少年漫画を少女や大人が読むこと(或いはその逆)も珍しくはないのかもしれないが、いずれにしても依然として多数ではあるまい。

それゆえ、私にいわせれば、今日での男女らしさもしくは異性に対する意識を形成する上で、漫画の果たしている役割は決して無視できるものでもないように感じる。いずれも異性は同性から見て都合よく書かれているのは事実だし(だからこそ同性からは見るに耐えないということになり、垣根のなかなかなくならないひとつの理由にもなるのだろうが)、それゆえにこそ逆にジェンダーを形成するという点では意味を持つといえるような側面についてである。

例によって私はそういうことそのものの是非を論じるつもりはない。むしろ、おもしろいものは性差を超えておもしろいものだというのが私の考えなので、それが理由で見逃している名作があるのであれば、それは極めてもったいない話だという程度である。ただ、もし漫画・アニメが本当に日本の誇るメディアであるというならば、それは性差のようなレベルを越えたものでなければ本当に通用したともいえないのではなかろうか。

宮崎駿にしろ大友克洋にしろ、私はそれは老若男女を問わず受け入れられる部分があるからこそ、世界的にも人種や国境を越えて評価されているのだと思う。それを考えると、日本の漫画にもそろそろ性差や年齢にこだわらない初めからユニ・セックスであることを標榜した雑誌なり何なりが現れてもおかしくはないと思うのだが...

# 結局のところ、そういう共通項が「おたく文化」としてしか括られないのであれば、
# この国の漫画・アニメもそういうレベルで終るのではないかということです