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古本屋マンネリズム

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editor唯野
2001.4.16公開
2001.6.10修正
2020.2.25文字化け修正

このところ「BOOK OFF」を始めとする新古本寄りの本を扱う古本屋の躍進がめざましい。かくいう私も学生時代には、そういう系統の店でバイトをしていたクチである。そんなわけで若干の内情に触れつつ、ここでは私のちょっと心配することなどを取り上げてみようと思う。

まずは古本の値段についてである。通常、これらの古本屋ではとにかく値付の非常に単純明快であることが多い。例えば、文庫本が 100 円均一であったり、単行本が一律定価の半額であったり等々。むろん、これはそういうマニュアル化でもしなければ古本の適価など把握しきれないというのが一番正直な理由である。なぜなら、そもそも毎年膨大な新刊書が登場する書物の世界の相場などというものに、バイト如きが精通しようなどというのは、とてもではないができない相談だからである。

しかし、それによって切り捨てられているものもあるのではないか――という気持が私にはある。なるほど、どのような値段の付けられ方をしようと名作は時間のふるいにかけられて残るものかもしれないし、そんな大層なことをいわずとも、それこそが書物の消費財化だといい切ることもできる。だが、十把一絡に趣向も時代も異なる本を並べておきさえすればいいものだとは私には思えない。より具体的にいえば、値段以上に、あの著者「あいうえお」順の本の並びというのが、あまりに無定見で芸がないように思えて仕方がないのである。

これは古本屋に特有の新刊書店にはない書棚の妙の否定であり、私にはマイナス面ばかりが鼻についてしまう。なぜなら、私にとっては囲碁・将棋の本がマルクスの隣にあったり、全集と文庫が同じ書架にあったりという「何が出てくるか分からない仕掛け」ということの方が、本に読むだけでない見る楽しさを与え、本を選ぶのと同じくらいに大切なことだからである。漁書とはよくいったものだが、獲物がここにありますよと分かっていて行くものに、おもしろさなどあるはずもあるまい。古本との出会いというのは多分に一期一会の類のものであり、何が起こるのか分からないからこそおもしろいのである。

そのため、普通の古本屋ならばよそにはないものほど揃えようとするところが、これらの古本屋だと、どこヘ行っても同じようなものが並ぶという状況を生んでいる。大型店や新設店でなおのことその傾向が強くなるのだが、これは書物の価値の相対化というよりは、単なる無価値化というべきではないだろうか。なぜなら、どこにでもある本 = 回転が低く人気もない本、だからである。これは文庫だろうと漫画だろうと CD でも同じだろう。新刊書店が金太郎飴だと揶揄されて久しいが、古本屋までが金太郎飴である必要はない。少なくとも手軽に買えることと差異化のなさが直結せねばならぬ理由はないはずである。書物の中身が千差万別であるならば、それを扱う古本屋の方にも違いがあって当り前というべきだろう。

とはいえ、これだって市場が飽和状態ともなれば、嫌でも差別化を図らざるを得なくなるだろうから、私自身は今のところは割と楽観している。というより、既にそういう個性化に走るお店が出てきてもおかしくない頃というべきだ。もちろん、出久根達郎の短編に出てくるような逆に客におせっかい過ぎる本屋でも客の側でのおもしろ味を減じてしまうので、その辺の舵の取り加減が店主の腕の見せ所とはいえよう。となると、より難しいのは変わり者でなければならない(勝手な思い込みが 10 割ほど入ってます)店主の存在の方なのかもしれない。何しろ偏屈なくらいでないと通用しないほどに奥の深い世界なのは確かであり、無個性化しているのは本ばかりでなく、それを扱う人間の側にもいえそうだからである。

# 一応、タイトルは林檎的ネーミングとしてみました :-)