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ニセモノ社会

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ニセモノを見抜けない社会がホンモノになることはない

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editor唯野
2021.4.2公開
2021.4.4修正

停滞の続いている日本社会であるが、これと期を同じくして進行していると私の考える社会事象がある。それが社会全般における「ニセモノ」の氾濫である。

先に言っておくと、私は「ニセモノ」が悪いと言いたいのではない。それが有益な場合ももちろんあり、それを含めた選択肢のあること自体を否定するつもりは毛頭ない。では、何が問題なのかというと、ニセモノがホンモノかのように流通しホンモノを駆逐するだけでなく、ホンモノを志向せずホンモノに敬意の払われない状況に対してである。

ラーメン発見伝 7巻 p.195

これは我々の衣食住を見ただけでもよく分かる。アルコール添加された日本酒が幅を利かせすぎているために、本来の米だけで作った「純米酒」という言葉がわざわざ必要になる。また外食チェーンにおいてチーズがホンモノでないといった話は今更だが、木目を印刷した建材を〝ふんだん〟に使った「木造住宅」なども分かりやすい例だろう。通常こういったニセモノはホンモノより安いというところに存在意義があるものの、あまりにそれらが普通となってしまった結果、むしろホンモノの方が肩身が狭くなり、いちいち説明をしなければ分からない人までいる有様になっている。

こういうことを許容できるのが国民性なり民度なのかどうかはさておき、ニセモノのあふれていることが当たり前となってしまった結果なのだろうが、ニセモノの増殖は今や衣食住どころの話ではなくなっている。

これまた例を挙げれば政治家など非常に好適である。国会で首相が嘘をついても起訴されない、公約を反古しても責任を問われない、それどころか「責任を取ればいいというものではない」などと時の首相が答え、あまつさえ都合の悪い質問にはそもそも答えない。こんなものは政治家のニセモノである。ウェーバーの『職業としての政治』でも読んで出直してくれと言いたくなる。

先に述べたように私はニセモノが悪いとは思わない。しかしながら、ホンモノの良さも理解して尊重し、可能な範囲でホンモノを志向するモラルというか矜持は持つべきではないかと考える。これをもっと単純にいえば本物の良さを認めるということだ。

私が思うに今の日本は「より良いものを目指す」ことをしないばかりか、「何が良いのか」の判断さえ放棄しているように映る。長引くデフレは安さこそ正義で、まさしく悪貨が良貨を駆逐するいびつな社会をもたらした。だから身の回りにニセモノがあふれていても疑問に感じない。身近な衣食住の不自然さに疑問を感じないのであれば、より広範な社会や政治の不自然さに関心が向かないのも当然である。必然的に社会の不自然な部分をよくしようと思わないのであれば、社会が停滞し活力を取り戻さないのも自明だ。

だから現在の日本社会における「ニセモノ」の氾濫は、極めて今の日本の停滞、もっといえば思考停止と連動しており、それをよく象徴している。タテマエを含んだものであったとしても、就任時に多民族の融和を高らかに宣言したバイデン大統領と、就任後3か月以上も指針方針演説さえしなかった菅首相の差は、それをよく現してあまりある。いわんや、その種のニセモノに憤らない社会においてをや。