梅原猛
心の危機を救え
日本の教育が教えないもの
ガイド
書誌
author | 梅原猛 |
publisher | 光文社 |
year | 1995 |
price | 1,100 |
isbn | 334-05229-0 |
履歴
editor | 唯野 |
1995 | 読了 |
1999.3.16 | 公開 |
1999.10.30 | 修正 |
全体
あまり得るところのなかった本。法隆寺の本が非常におもしろかったので期待して読んだまではよかったのだが、この年に読んだ本のワースト3には入る内容だった。毎年こういう本にも出会うことは出会うので、それ自体は構わないのであるが、これでは反面教師にもならない。呉智英の方がはるかにましである。彼の本の方が主義主張はともかくとして、はるかにスリリングだ。まあ、たまにはこういう本を読書ノートに加えてもよかろうと思い以下に記す。
抄録
56-58
戦後日本は封建的 -> その象徴が天皇制 -> だから日本はデモクラシー国家ではない -> 教育界ではこういうマルクス主義的な考え方が主流 -> 彼らは学校で革命家を養成しようとしている
この一節を読むだけでも馬鹿馬鹿しい。だから、いちいち反論しないが、これではいくらなんでも70年代の文章だ。
62-64
日本の歴史は下層階級のものでも積極的に国政の要職に据えてきたという指摘。また、戦前の修身教育(国語教育)が日本人の単一価値観化を推し進めたとのこと。そして、それこそが戦後の経済復興の原動力になったのだということ。
まず要職に就こうとも一部であって身分制の残っている時点では何ら意味がない。日本において、まがりなりにも身分の平等が制度的に成立したのは明治になってからである。そして、戦後の日本だって少しも単一的社会ではない。外国人もたくさんいたし差別問題も存在した。当時の日本を特徴付ける国民意識のまとまりは個人主義社会が未分化であったというように(ゲマインシャフト-ゲゼルシャフトの線から)解釈した方が自然である。
108-112
ゆえに、個人主義の広まりなどはこの経済成長の前提を崩すので賛成できない。教育の国家による管理は、これを達成するために必要なことである。
既に経済成長を成し、その経済成長の対価(環境問題/国債問題など)を抱える現代では、むしろローマクラブの提言以降に見るような、この手の「成長史観」に対する再検証こそ必要なように思う。氏は左翼を攻撃しているが、マスクス主義,資本主義ともに成長史観という点では同じだからだ。それでなくとも、中央集権型は復興期であればこそ意味を持ったのであって、現代ではむしろ対応の柔軟性を欠き逆の効果しか生まないように考える。