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石橋 湛山
石橋湛山評論集

ガイド

主にジャーナリスト時代の鋭い評論の数々。昨今でこれに匹敵できる人がどれくらいいるでしょうか

書誌

author石橋 湛山
editor松尾 尊兊
publisher岩波文庫
year1984
price800+tax
isbn4-00-331681-9

目次

1本文
2抄録
3129-130.

履歴

editor唯野
2020.8.2読了
2020.8.8公開
2020.8.12修正
2020.8.18修正

戦前の軍国主義に抗したジャーナリストというと桐生悠々や「週刊土曜日」の斎藤雷太郎などが挙げられると思うが、本書の石橋湛山もその系列に連なると言ってよいと思う。もっとも彼の場合、戦後は政治家に転じ自民党第2代総裁、また極めて短期間ながら首相も歴任しているから、全般的には戦後自民党を代表するリベラル(ハト派)政治家という印象が強い。もちろん私も彼の政治的立場から来る主張全てに賛同するわけではないが、それでも本書を一読して、もっと早く読むべきだったと思った。先見の明があるだけでなく、論旨も的確で淀みがない。直球で無駄がないから読んでいて痛快であり清々しい。少し感じは違うが魯迅にも通じるものを感じる。

選集であるから精選された文章が載っているとはいえ、例えば第一次大戦で日本が行ったドイツの青島占領(大正3年)に対し、翌年の時点で日本の挙国一致論に警鐘を鳴らす以下の一文などは「先見の明」という言葉でも物足りない鋭さがある(p62)。

-/-このたびの事件で、わが国が支那およびドイツの深恨を買えるは勿論、米国にも不快を起させたは争えぬ事実である。かつて世界が日本の手を以て、極東に跋扈した露国の頭を叩かせたように、これらの諸国は日英同盟の破毀を手始めに、何国かをして、日本の頭を叩かせ、日本の立場を?覆(てんぷく)せしむるか、それとも聯合(れんごう)して日本の獲物を奪い返す段取りに行くのではなかろうか。その場合には、ドイツから取った物や、這次(しゃじ)の対支交渉の結果で得た物の喪失だけでは、到底済まぬ。おそらく二十七、八年戦役から積み上げて来た一切の獲得物を、元も子もなく、取り上げられるであろう。これ吾輩の対支交渉を以て、帝国百年の禍根をのこすものとして、痛憂おく能わざる所以である。-/-

また、昭和6年の井上蔵相に対する以下の一文などは特に今の国会を軽視する政治家にこそ聞かせたいものである(p172)。

-/-議会における言明は議会を閉じれば直ちに弊履(へいり)の如くこれを棄て、顧みないならば、議会はあってもなきに等しい。議会においては、政府当局に都合の悪いことは、知っててもいわぬ、やむをえない場合にはでたらめをいう。議会が閉じれば、言明を裏切り、別人の如き行動を取る。かくの如きは即ち議会愚弄、ひいては憲法愚弄、更に国民愚弄というて差し支えない。-/-

来歴や代表的な文章などはWikipediaにも載っているので、そちらも参考にされたし。

抄録

14

けだし「権利」もしくは「自由」とは「束縛」に対して初めて意義を有する消極的の言葉である。リープクネヒトがいえる如く、それは衣服ともならず、家屋ともならず、食物ともならない。その役目はただ「束縛」を打ち破る武器である。されば一たび「束縛」が打ち破られて、仕事が進んで積極的に我が世界を打ち立てることになった時には、「自由」の武器はもはや役に立たない。而して我々は何ものか他のものを持って来ねばならぬ。

16

-/-自由民権とか自然主義とかいう叫びの聞えなくなったのはこの所以である。私はこれを問題の社会化という。今の時代は、日本においても、外国においても、総ての問題が社会化し、もしくは社会化せんとしつつある時代である。-/-

21

されば「国民として生きる前」ばかりでなく、「宗教の中に生きる前」「文芸の中に生きる前」「哲学の前に生きる前」に人は人として生きねばならぬのである。否、生きざるを得ないのである。何となれば、国家も、宗教も、哲学も、文芸も、その他一切の人間の活動も、皆ただ人が人として生きるためにのみ存在するものであるから、もしこれらの或るものが、この目的に反するならば、我々はそれを改変せねばならぬからである。