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筑紫哲也(編)
新人類図鑑 (全2冊)

ガイド

書誌

author筑紫哲也(編)
editor白谷達也(写真)
publisher朝日文庫
year1986
price各\580
isbn2-260401-8 (Part1)

履歴

editor唯野
2001.4.17読了
2001.4.29公開
2002.8.20修正
2020.2.25文字化け修正

編者の造語として文字通り一世を風靡した「新人類」との対談集。写真が意外と多く逆にいえば一人あたりの文章は少ないのだが、そんな辺りも時代を反映しているということなのだろうか。登場しているのは以下の通り。今でもよく聞く名前もあれば、そうでないものもある。しかし、考えようによっては、それはそれでかえってリアリティがあってよいような気がする。第一、肩書きひとつ見比べてみてもおもしろい。

遠藤雅伸 (ゲーム・デザイナー)
中森明夫 (エディター)
小曽根真 (ピアニスト)
木佐貫那子 (ダンサー)
原律子 (漫画家)
吉川洋一郎 (作曲家)
原田大三郎 (テクノ・アーティスト)
甲田益也子 (ファッション・モデル)
川西蘭 (作家)
加藤かおる (島の先生/シンガーソングライター)
高見裕一 (リサイクル運動家)
李泰栄 (CM ディレクター)
辻元清美 (女子大生)
三好和義 (写真家)
安西英明 (バード・レンジャー)
三上晴子 (オブジェ・アーティスト)
泉麻人 (コラムニスト)
--
北村信彦 (デザイナー)
高野生/高野大 (『ヒストリーズラン』編集部)
野々村文宏 (テクノ・コラムニスト)
川村毅 (劇作家)
萬處雅子 (トライアスリート)
小野寺紳 (謎々プログラマー)
今井アレキサンドル (環境アーティスト)
桜井さとみ (イラストレーター)
樋口尚文 (映画批評家)
結城恭介 (作家)
秋元康 (作詞家)
滝田洋二郎 (映画監督)
藤原ヒロシ (リミキサー)
西和彦 (エンジニア)
洞口依子 (女優)
平田オリザ (学生)

そして筑紫哲也自身は、「新人類顛末記」と題した後書きの中でこう書いている。いわく「この国に、新人類などというものは存在しない」と。彼は 80 年代後半における、あの保守一辺倒の到来を念頭に置くことで、自分の生んだ言葉の影響力を比べ、上のような言葉で総括しようとしているのだが、私にいわせれば、それこそが「新人類的」といわなければならない。むしろ、これは若者の何かしらのムーブメントを政治に結びつけて考えようとする筑紫氏の発想こそが旧人類的(全共闘的 ?)であると例証しているようなものである。なぜなら「新人類」には、筑紫氏自身の感じていた世代ギャップという側面も盛り込まれているはずだからだ。

ゆえに、そういう意味において新人類は確かに存在したと私は思うし、それが 90 年代に影響を与えていることも事実のはずである。氏は続けて「世代論が不毛なのは、ひとつの世代を一把総からげにしてこうだ、と断定するからだ」といっている。こちらは全くその通りであり、世相というものを個のレベルからのベクトルとしてしか捉えられなくなったエポックとして新人類があったのではないかと私などは思う。

抄録 PART1

16

筑紫 ゲームをつくる一番基礎になっている部分ですね、あなた自身の、それは何ですか。

遠藤 映画が非常に大きいかなあ。あと、アニメも大きいですね。-/-

21

遠藤 ええ。そういう方向に向かわせたのは「ガンダム」ですね。あれがやっぱりきっかけになっていると思います。悪い側にも思想があるというのか、悪い側にも、それなりに意図があって動いているとか。結局子供の漫画に、あそこまでのストーリーはいらないと思われるようなものまで、みんなが志向しはじめたということからですね。

これは鋭いというか、日本のアニメにおけるガンダム以前・ガンダム以降というのは独立して文章にできるくらい論じるだけの価値がある。探せば既にそういう文書もありそうだが、学問レベルできっちりとやっている人はいるのだろうか ?

29

筑紫 僕は世俗的に浅田(彰)くんのメッセージが一番はっきりしているのは、家の問題だって言うんだけれども。つまり少なくとも家というものに執着をしなければ、違う人生が相当見えてくる。