新田次郎
聖職の碑
ガイド
書誌
author | 新田次郎 |
publisher | 講談社文庫 |
year | 1980 |
price | 440 |
isbn | 316567-Y |
履歴
editor | 唯野 |
1997-98 | 読了 |
1999.11.28 | 公開 |
1999.12.2 | 修正 |
教育の根源的な方向性としての「理想主義」と「現実主義」の違いと実践、そして、その微妙な関係の中にあって起こったであろう遭難事件の深層を問う作品。これは大正時代の長野県の教育事情を有名な「駒ケ岳の遭難事件」に絡めながら説き起こしたものである。むろん、著者はこの教育の方向性というものに対する確固とした答えを示しているわけではない。それはあくまでも読者の問題としているわけであるが、私はこの作品は山岳作家による山岳小説という枠にとどまらない問題提起をしている好作品だと思っている。それは、著者自身が長野県の出身であり、同じ時期の教育を受けたという背景も関係しているのだろうが、「鍛錬主義から発した登山が単純にそれだけを理由として事件につながったのか ?」という極めて興味深い部分にまで踏み込んでいるように思えたからである。
しかしながら、間違わないでいただきたいのは、この作品は *そういう事件があったから* 「理想主義が悪い」「現実主義が悪い」という、定規で線を引いたような主張を引き出すために書かれているのではないということだ。というのも、それでは(昨今のように)不幸な事件が起こったという大義名分だけをもってして管理主義を導入するという、教育というものの可能性をも同時にせばめる状況と意味的には同じことしか導き出せないからである。教育における「理想と現実」への線引きという問題は、そんなに単純なものではないはずであり、それは過去や現在だけでなく未来においても議論されるべきものであり、そういう問題を教育関係者だけのものとはしないことこそが最も重要なことなのではないかと私は考えるからだ。
そのためではないだろうが、本書には後半に「取材記・筆を執るまで」が付されている。通常、小説がその作成過程にまで触れるというのは珍しいことだと思うのだが、本書ではこの補遺によってフィクションとしての小説だけではない読み解きが可能になっているように思う。悲劇的な事件を教訓として後の教育の中に生かしていくとはどういうことであるのか ? そういう意味においても、この作品は奥行きのある一冊だといえるだろう。
抄録
13-14
今日でも駒ケ岳には、この遭難事件の碑文がある。それは遭難の「慰霊碑」ではなく「記念碑」となっている。その遭難記念碑には次の文字が彫られている。
大正二年八月二十六日、中箕輪尋常高等小学校長赤羽長重君は修学旅行のため児童を引率して登山し、翌二十七日暴風雨に遭って終に死す。
遭難記念碑 共殪者 堀 峯 唐沢武男 唐沢圭吾 古屋時松 小平芳造 有賀基広 有賀邦美 有賀直治 北川秀吉 平井 実 大正二年十月一日 上伊那郡教育会25
日露戦争の終結時頃から長野の教育界は大きな変革に見舞われた。従来の文部省の教育方針に反対する教育者を信濃教育会(長野県の教育者母体)が黙視したことにより、文部省の通達を押し付けるのではなく、自由教育思想の流れを追う方向が生まれたためである。その中心となったのは若い教師たちで、その内容は当時に発刊された雑誌「白樺」の影響による理想主義教育だった。
31
「白樺派文学はモラルを追求しつつ、人類愛、人間尊重、善意の三項目に焦点をあてて、文学的昇華を試みようとしています。確かに、自然主義文学より一歩遅れて世に出たものですが、自然主義文学を否定するものでも肯定するものでもありません。白樺派の文学は白樺派の文学でいいのです」