浅羽通明
ニセ学生マニュアル
いま、面白い<知>の最尖端講義300
書誌
author | 浅羽通明 |
publisher | 徳間書店 |
year | 1988? |
price | 1,000 |
isbn | 19-553743-6 |
履歴
editor | 唯野 |
1997-1998 | 読了 |
2000.11.27 | 公開 |
2000.12.13 | 修正 |
2020.2.25 | 文字化け修正 |
100% サブカル本。かなり前に読んでそのままとなっていた本で、最初に読んだときもそう思ったし、今回の読書ノート化に際して部分読みをしてみても、この感想は同じだった。なぜサブカルなのかといえば、この本は「知を何に使うか」ではなく「知の要領のいい得方」しか示していないからである。つまり、「知」というもの、もっといえば現在の日本の大学そのものがそうなのだろうが、それこそが根本でのズレだからだ。それゆえ、ニセ学生という手段が目的になっている本書はサブカルとなる。私は手段が目的にすりかわった場合における「文化」がサブカルだと思っているので、本書はその条件を十分に満たすのである。
ただ、誤解していただきたくないのは、そういう理解の上でニセ学生も手段として利用する分には何ら問題はないという点である。ちゃんとした前提があるのであれば、大いに本書のエッセンスを利用すればよい。最大の問題はサブカルの線引きに明確であるか否かなのであり、それに言及しないかそれに戯画的なサブカル本が多すぎるというところにあるからである。
抄録
8
なんの義務もなく講義に通うニセ学生になると、あらためて学問とか思想とかいうものは本来孤独な営みであり、独学こそが基本であることを思い知らされる。独学者にとって学校という制度が、ときには有害ですらあることは、なにもアカデミズム批判や脱学校論を待つまでもなく、児童向き伝記シリーズで、エジソンに代表される学校ぎらいたちを偉人として紹介された幼少期に、我々が刷り込まれた常識だったはずだ。
このページには独学に関して加藤秀俊の『独学のすすめ』(文春文庫)が紹介されているが、私もこの本はおすすめである。特に学ぶということにおいて、学校制度の存在する以前には独学こそが唯一かつ当り前の方法であったという一点を知るだけでも、与えられた教育が当然となっている現在の我々にとっては得るところがある。
10
-/-資格という形を持たずに生きるためには、資格者以上の実質を備えねばならない。この逆説を生きることで、はじめてブラック・ジャックは医師資格制度への根源的批判たりうるのだ。