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森嶋通夫
なぜ日本は没落するか

ガイド

書誌

author森嶋通夫
publisher岩波現代新書
year2010
price960+tax
isbn978-4-00-603205-0

目次

1本文
2抄録

履歴

editor唯野
2019.9.12読了
2019.9.12公開
2019.9.20修正

元々は1998年に書かれた本で2050年の日本社会がどうなるかを論じた本であるが、恐ろしいまでに今の日本を言い当てている。もっと早くに読むべきであり、不覚を禁じ得ない。イギリスという外にいるから、より日本を客観的に見ることができるのかまで定かではないが、まさしく警世の書である。

概要は解説がよくまとまっているのでそちらをおすすめするが、極めて乱暴にまとめると、バブル期に戦前世代が退場していく中で異なる教育を受けた戦中・戦後派との齟齬が生まれ、それまでの政財官の一体化が崩れると、全体のためのビジョンを語る政治家もいなくなり、全社会的にモラルも失われていった結果、悪い意味での「和」や「癒着」だけが残った大人しい日本は、21世紀には没落するだろうという主旨になる。

それを防ぐためイノベーションを生む人材を作り出すための教育改革、(EUに近い)東北アジア共同体による雇用の創出を説いている。また没落に伴って右傾化の危険性も指摘しているが、慧眼恐るべしという他はない。

私自身は日本は既に没落フェーズに入っているという認識で、安倍政権はその決定的な没落を招いた首相として後の世に名を残すと思っている。人口減による超高齢化社会は移民によってしか解決しえないのに、移民や人材交流を期待すべき近隣諸国と低レベルな喧嘩ばかりしている。対北朝鮮ではミサイルを煽った結果、米朝会談では蚊帳の外に置かれた。韓国とは徴用工問題を発端として子供の意地の張り合いのようなことをしているが、長期的に見て日本にメリットはない。メリットはないのに振り上げた拳を下ろす(失敗を認める)ことができない首相だから、それこそ将来を含めた国益を損なっている。中国も同様で人口と市場規模で根本的に勝負にならない以上、長い目で見てアジアの覇権が中国に移っていくのはもはや避けようがない。もちろん戦後長い時間をかけてきた北方領土問題まであっという間に白紙に戻してしまったのも最近のことである。日本は既に外交的に見下されているのであり、それこそが没落フェースにある事実を如実に示しているのである。

だからこそ著者がいうように歪んだ右傾化が力を得るのだろう。恐らく私の予想では日本がこれから没落していけばいくほど右傾化が強まると考える。老人が過去の栄光にしがみつくとの同じで、本当の中身ではないところでしか威張れなくなるからだ。以前、NHKの「プロジェクトX」が流行ったとき、私は「いよいよ日本の下り坂が始まったか」と思ったものだが、この種の過去礼賛がリバイバルされるのも時間の問題だろう。現在や未来ではなく、過去、それも都合のいい過去しか語れない国や国民は没落という現実こそ直視できないからである。

それゆえにこそ、著者が素晴らしいのは単なる批判だけではなく同時に救済のための方策まで具体的に提案しているところにある。極めて現実主義的であり、嫌な将来像からも目を背けない姿勢は見習わなければならない。細かいところで著者の憂いていた失業問題は非正規雇用増大による格差社会で埋め合わせされていること、余りに急速な少子高齢化社会の進展、人口減の中での財政赤字拡大など、現在の実情からもっと問うべき点も見受けられるが、大筋での著者の指摘は正しい。

本書から20年を経て状況がどうなっているかは論を待たないが、本書を超える展望や未来を日本は近い将来に示せるであろうか ? 著者の言を借りるのであれば極めて悲観的といわざるを得ず、私自身も著者が批判する大人しすぎる戦後派の一人であることから逃れられないものの、その一方で前向きかつ全方位的に考えるべきことを痛感させられた。解説でも触れられている通り、それこそが本書の意図なのだろう。

抄録

iii

日本はいま危険な状態にある。-/-そのためには、まずなぜこんな国になったのかが明らかにされねばならない。それと予測が本書の問題である。

iv

次の世紀の日本は、昭和時代の日本――悪役であったとしても世界をかき回した――とは違って、幕末の時のように国際政治的には無視し得る端役になっているだろう。もちろん二〇世紀での活躍の記憶があるから、幕末の時のように全くの無名国ではない。しかし残念ながら日本が発信源となってニューズが世界を走ることは殆どないだろう。

けれどもこのことは必ずしも日本が経済的にも没落していることを意味しない。-/-

v

幸か不幸か、徳川時代は階級差が激しく、地方差も激しい時代であった。だから住民の大部分が危機意識を持っていなくても、一部に「世を憂える志士」が現われることがあり得たし、事実彼らの奮起が日本を支えた。しかし二〇五〇年の場合には、都会でも田舎でも人々は同じ教育を受け、しかも日本は階級差の少ない社会になっている。その上その時の日本の住民の資質はあまり良くないと予想される。(この予想が本書の焦点である。)エリートも牽引車ももはや存在しない。だから人々は経済的に恵まれていればいるほど、安逸を打ち破ろうとはしないであろう。彼らはむしろ何もしないで安楽死を願望するとすら考えられる。