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水村美苗
日本語が亡びるとき
英語の世紀の中で

ガイド

私は単行本で読みましたが文庫も出ています

書誌

author水村美苗
publisher筑摩書房
year2008
price1800+tax
isbn978-4-480-81496-8

目次

1本文
2抄録

履歴

editor唯野
2020.10.14読了
2020.10.15公開
2020.10.17修正

ここ数年で読んだ本の中でも白眉といってよい本である。ベネディクト・アンダーソンの『創造の共同体』を下敷きにしているので、恐らく森巣博の著作で薦められていて買ったのだと思う。しかし、相変わらず他書と同じく積ん読となっていたものである... が、もっと早く読むべきであった。

本書が扱うのは、インターネットの登場によって人類史上初めて英語が全世界レベルでの<普遍語>として君臨した今世紀以降において、近代の国民国家が生んだ<国語>や<国民文学>の行く末である。インターネット社会がもたらす日本語という言葉、ひいては日本への影響をここまで明確に指摘した本はなかなかないと思う。

-/-人類の歴史の中で、<普遍語>だった言葉がいくつかあります。ラテン語、中国語、アラビア語――かつてのフランス語もそうです。でもそのような言葉が、今日の英語のように世界全体を覆ったことはありませんでした。英語以外のどの言葉も、ここまで完璧に、そして絶対的に支配的になったことはありません。しかも、言葉というものは、経済力や政治力や軍事力とは独立した動きをもち、いったん広がりはじめると、自動運動のように広がっていく。アメリカの国力が今後どうなろうと、英語の支配は長い将来にわたって強まっていかざるをえません。(p82)

しかしながら、著者は明らかに日本における<国語>や<国民文学>の行く末に悲観的である。漱石などを含めた例を挙げつつ、自身がアメリカ育ちである来歴を含めた上で日本近代文学を礼讃し、全ての文化に栄枯盛衰が付き物であることを認めながらも、なお悲観的である。もちろんそのための提言を含めた詳細は本書後半に譲るとしても、私自身も自分が普段使っている言葉に対して無知な部分の多いことを認めないわけにはいかなかった。例えば、英語においてなぜ口語・文語という分類があるのか、戦後の日本語における当用漢字、新かなづかいの歴史的経緯などは、これだけでも一読する価値がある。

近代以前の人々には、<書き言葉>が<話し言葉>をそのまま書き表したものだという考えはなかった。近代に入り、ヨーロッパで古典教養の一部となってキケロやセネカの散文は、<話し言葉>とは異なった「文語」で書かれているといわれているが、それは<書き言葉>が<話し言葉>を書き表すものだという、のちに生まれた考え方を過去に投影したものの言いかたにすぎない。近代以前の人々は、たとえ<自分たちの言葉>で書いていようと、「文語」で書くのを当然としていた。(p126 cf.104-105)

もっとも、著者は自身が小説家として<国民文学>を生んだ<国語>に昇格した日本語を全面的に肯定する立場であるため、ナショナリズムという観点からいっても肯定的である。脱ナショナリズムが日本語否定になる必要性はないが、脱近代という時代の中で<国語>をどう捉えていくべきなのか、どういう姿が理想的なのか、この議論は非常に難しい。私ももう少し酒井直樹あたりを読んで勉強しなければならない。

-/-当時、<普遍語>と<現地語>のあいだにはヒエラルキーが厳然と存在し、『源氏物語』の輝きといえどもそのヒエラルキーをいささかも揺るがすものではなかった。平安王朝文学の絶頂期においても、宗教、学問、法律、公文書、記録など、二重言語者である読書人の男の読み書きの中心にあったのは漢文である。文芸としては漢詩である。『古今和歌集』の地位も当時は漢詩に及ぶものではない。室町、鎌倉、江戸と時代を経るにつれ、漢文で書かれたものは、仏者や儒者が書いたものに限られていくが、漢文で書かれたものと日本の言葉で書かれたものの上下関係は明治維新を迎えるまで消えることはなかった。元禄時代といえば、芭蕉や西鶴に代表されるように私たちは思うが、それは、<国語イデオロギー>が輸入されたあとで創られた国文学史観によるもので、当時は伊藤仁斎や萩生徂徠が漢文で書いたものの方が権威をもっていた。『解体新書』は日本で初めて西洋語を訳した書物として知られているが、日本語に訳されたのではなく、漢文に訳されたのである。公文書はもちろん漢文で書かれ続けており、公文書が「漢字カタカナ交じり文」という<現地語>で発布されたのは、明治元年の「五箇条の御誓文」が最初である。明治維新を迎えるまで、日本の言葉で書かれたものは、<普遍語/現地語>という構造の中にあり、それは<現地語>でしかなかったのであった。(p164-165)

とはいえ、「英語の世紀」においては著者が指摘する通り<叡智を求める人>は、叡智を求めるがゆえに既に日本語では発信しなくなりつつあること。また、そういう波に乗り遅れることが世界の中での日本の孤立を招き、悪い意味で日本を内向化させること――などは全くその通りだと思う。というよりも現時点で既にそうなっている。

悪循環がほんとうにはじまるのは、<叡智を求める人>が、<国語>で書かなくなるときではなく、<国語>を読まなくなるときからである。<叡智を求める人>ほど<普遍語>に惹かれてゆくとすれば、たとえ<普遍語>を書けない人でも、<叡智を求める人>ほど、<普遍語>を読もうとするようになる。-/-すると、<叡智を求める人>は、自分が読んでほしい読者に読んでもらえないので、ますます<国語>で書こうとは思わなくなる。その結果、<国語>で書かれたものはさらにつまらなくなる。-/-こうして悪循環がはじまり、<叡智を求める人>にとって、英語以外の言葉は、<読まれるべき言葉>としての価値を徐々に失っていく。-/-(p254)

私自身も例えばプログラミングの世界において日本語の弱体化は感じている。新しい専門用語はアルファベットの略語かカタカナそのままであり(本書が扱う当のインターネット自体がそうである)、訳書の数が減るだけでなく質も下がり、最新あるいは突っ込んだ情報は英語で追った方が早い、というのが実情である。略語も英語の元の綴りを追った方が意味が分かりやすい――などはその典型であるが、それ以前にほとんどのプログラミング言語を記述する際の言葉が英語なのだから、どうしようもない。

それで感じたのは、少し前に日本語でプログラミングができる「なでしこ」が中学の教科書に採用されたというニュースだった。私にはこれはすごく的外れというかズレているとしか思えなかった。今の時代にプログラミングの素養が求められるのは分かる。しかしその最初のとっかかりが、日本語を使えるプログラミング言語である必要はない。というよりも、そうでない方が良い。なぜなら(もちろんそれこそが「英語の世紀」をより強化する結果になるのだとしても)現時点もしくは近い将来において「世界でデファクトになっているもの」を使わなければ何の競争力にもつながらないからである。おまけに最初に「世界のスタンダード」と異なるものを使い、そちらに慣れてしまって足を引っ張られることによる弊害の方が大きい。

著者は現在の日本の公共教育における「国語」の扱いに憤慨しているが、まあ私もそれならむしろプログラミング言語を問わずそれ以前に求められるロジック、もっといえば英語世界で求められ日本語では弱いとされている論理的な思考を、日本語でよいからきちんと学ぶ方がはるかに応用範囲は広いのではないかと思う。というよりも、そういう「英語的思考」を<母国語>にも織り込んでいくことこそが「英語の世紀」に求められる<国語>なのではないかと思う。

ちなみに著者はAIなどによる自動翻訳に対して懐疑的だが、それはあくまでも<国民文学>レベルの話であって、むしろ細分化された専門領域になればなるほど専門用語さえ分かれば今は自動翻訳で何とかなるレベルになっていると私は思う。実際、プログラミングの世界に絞ればよく使われる単語も限られてくるし、最悪でもプログラム自体を読めば意図くらいは分かるので、そこから文章を補うことができるからだ。

それゆえ何よりも戦慄を覚えるのは、既にこの流れが不可避であり、著者が懸念する日本語の「亡び」が既に進行中であることにほかならない。同じ懸念は日本語に限った話ではなく英語以外のあらゆる言葉にも当てはまるのだろうが、確かに旧かなづかいの文章が持つ流麗さ、漢文調の文章が持つ歯切れの良さなどは、私でも最近は古い岩波文庫を読むときくらいしか接しない気がする。また、熟語の一部の漢字だけひらがなにした文章に違和感を感じても、その場限りで終わってしまう。そういう状態が既に「亡び」の進行であることは、いわれてみるまで気づかなかった。

このことは言い換えるならば、口語がより優勢となることによる文語の弱体化、著者のいう<書き言葉>の弱体化でもあると思う。冒頭の引用にもあるように英語の力が自動運動のように広がっていくということは、相対的に日本語が自動運動のように狭まっていくこととも同義である。言葉はあまりにも近いものであるがゆえに逆に見えにくく、気がついたときには手遅れな緩慢な死がもたらされる可能性は高い。そのようなことを改めて考えさせられた。

抄録

12-13

日本からは私一人。アジアの他の国からは、中国人、韓国人、ヴェトナム人、ビルマ人、モンゴル人。アフリカからはボツワナ人。中東からはイスラエル人。東欧からは、ポーランド人、ルーマニア人、ハンガリー人、ウクライナ人、リトアニア人、ボスニア人。西欧からはイギリス人、アイルランド人、ドイツ人。北欧からはノルウェー人。南米からはチリ人とアルゼンチン人。総勢二十数名であった。

私はその日を境いに、この総勢二十数名の作家とともに一ト月同じホテルの同じ階で暮らすようになったのである。

米国のアイオワ大学が主催するIWPに参加しないかという話があったのはその年の春である。IWPとはInternational Writing Programの略で、国際創作プログラムとでも訳すべきか、世界各国から小説家や詩人を招待し、アメリカの大学生活を味わいながらそれぞれ自分の仕事を続けてもらおうという、たいへん結構なプログラムである。往復の旅費、大学が所有するホテルでの宿泊費、日々の生活費を出してくれる。さらに書籍代なども出してくれる。

アメリカに行く話が出たときの常として、私はまず困惑した。