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伊藤肇
人間的魅力の研究

ガイド

中国古典から紐解くビジネス書としては良書です

書誌

author伊藤肇
publisher新潮文庫
year1989
price360
isbn10-115321-3

目次

1本文
2抄録
3語録

履歴

editor唯野
2000.4.1x読了
2000.5.4公開
2001.1.23修正
2020.2.25文字化け修正

私はあまりこの手のビジネスマン向けの「かくあるべき」的な本、ことに中国古典からの引用を元にして説くというような本は好きではない。その理由は既に別の読書ノートに書いたので繰り返すつもりはないが、本書はたまたま最近に読んだ佐高信の本の中で著者のことが触れられていたため読む気になり、そうしたらなぜか本棚にあったので読んでみたという一冊である。

その上で一読しての感想であるが、さすがによくまとまっているというか、構成的には非常によくできた本だと思う。人生訓的な話というのは得てして啓蒙的なだけにも陥りやすいように思うのだが、本書では部分のみならず全体もが理路整然としているため、そういう印象を残さないのだ。著者は前書きにおいて、本書はまだ起承転結でいえば「結」の部分がなく、「使命感―生きがい」「プロフェッショナル」「ロマン―詩心(うたごころ)」「無私」を補うつもりだった――とあるが、これだけでも十分な完成度があるように思う。

その全体をいうと本書では人物論の骨子として『呻吟語』からの深沈厚重、磊落(らいらく)豪雄、聡明才弁を 3 つの柱として挙げている。そして、そのいずれでも根底としてあるのは「君子は立派な学徳をそなえていても、決して、それを表面にあらわさないから、ちょっと見には、愚そのものにみえる」(p.275)というような「自らを飾らない」という点である。「本当に自信や実力のある者は虚勢を張る必要がなく、ありのままで十分」というような姿勢ということだ。そして、そのことは単に企業人のみならず、個々の人間に対して敷衍しても同じだと著者はいいたいのだと思う。即ち、自分という人間の中に何らかの自信なりそれに類する何かがあるのだということ、またはそれにつながる何かが現在なり過去にあるのだということ。なぜなら、結局はそれが時に臨んだときの人間としての器の大きさ(懐の深さ)、もっといえば魅力ということなのだと思う。

抄録

5-6/129

ありていにいえば、人物論は、好きか、嫌いかのどちらかである。つまり、好きで、好きでたまらぬ人間を描いた時か、反対に殺してやりたいほど憎い奴をとりあげた場合にのみ成功する。書いている本人が、好きか、嫌いかもわからぬような人物論が成功しえたためしはない。

18

たとえ、そいつが悪党とわかっていても、魅力があればどこまでもついていくし、反対に善人でどんなに立派なことをいっても、魅力がなければ、論理とか、イデオロギーだけではついていかない。それが人間である。だから、友を選ぶ場合には、何よりも気質、性格が合うことを第一として、主義主張の合う、合わないは第二にすべきであろう。

21

仏教において決定していることを「決定(けつじょう)」という。