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読売新聞社会部
会長はなぜ自殺したか
金融腐敗 = 呪縛の検証

ガイド

書誌

author読売新聞社会部
publisher新潮文庫
year2001
price514+tax
isbn4-10-134831-6

目次

1本文
2抄録

履歴

editor唯野
2018.5.5読了
2018.8.18公開

90年代の金融・証券不祥事における事件全体の流れを追ったルポで、よくまとまっている。一連の事件では第一勧銀の宮崎元会長・新井将敬議員らの自殺によって、実質的に捜査が行き詰まり沈静化した感が強い。実際にも逮捕されたのは、総会屋では小池のみに留まり、銀行・証券関係では公訴時効に絡む最後の担当者だけだったというのが全てを物語っている。

この事件では自殺という結果に対する検察への批判もあったが、私にいわせれば的外れだと思う。それをいうのであれば先にこの国の死刑制度自体も廃止すべきだし、それが本当に反論できるものなら自殺する必要もなかったからである。むしろ問題とすべきは、そのような個を孤立させてしまう日本的な組織のあり方、組織と個人の関係、近頃話題の「忖度」という物事の回し方にあると思う。そういうところにメスを入れない批判は片手落ちだろう。

安倍首相のおかげで有名になった「忖度」という言葉は、確かに今の日本社会を非常によく言い表している。また、この種の犯罪を生み出しながら当事者の責任を回避する絶好の方便にもなっている。忖度を批判できない人は忖度に毒されているといいたいところだが、新井議員のような2つの顔を持った政治家の例を見ると、そんな程度の切り分けでは駄目なのだろうなとつくづく思う。

抄録

9

第一勧業銀行には、「神様」と呼ばれる二人の男がいた。

銀行発足から五年二か月の間、会長として君臨した井上薫と、同じ任期を生きた初代頭取の横田郁(たかし)である。

井上は日本最古の歴史を持つ第一銀行の最後の頭取として、また横田も業界八位だった日本勧業銀行頭取として、両行の対等合併を推し進め、一九七一年十月、日本最大の銀行を誕生させた功労者だった。

10

「ああ、またあの人が来ているのか」

白けた雰囲気の中で、残された役員たちは、そうささやきあった。

「あの人」とは、現代評論社社長だった木島力也のことだ。-/-

15-17

最初、この事件は、新たな証券スキャンダルに過ぎないと見られていた。九六年十二月に特捜部長に就任した熊崎勝彦や、一線を指揮する特捜部筆頭副部長の笠間治雄も、事件が都銀にまで拡大するという確信を持てなかった。野村証券が、小池(隆一:唯野注)のダミー会社「小甚(こじん)ビルディング」名義の口座に、自己売買部門の取引で得た利益を付け替えていたことが発覚した――それが一連の事件の始まりだったからだ。特捜部は証券取引等監視委員会とともに約一か月前の三月二十五日に、小池に対する利益供与容疑で、東京・日本橋の野村証券本社など十数か所を捜索していた。