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藤原新也
印度放浪

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書誌

author藤原新也
publisher朝日文庫
year1993
price1,000
isbn2-260774-2

目次

1本文
2抄録

履歴

editor唯野
1999.8.1x読了
1999.8.28公開
2002.10.6修正
2020.2.25文字化け修正

「歩むごとに、ぼく自身と、ぼく自身の習って来た世界の虚偽が見えた」という言葉が冒頭に掲げられている本書は、藤原新也の放浪本の第1冊目を飾る言葉でもある。私は著者の別の一連の本(西蔵放浪/全東洋街道など)を先に読み、この本を後になってから読んだせいか、この本では少し著者自身にも気負いの感じられる――というのが一番の印象だった。つまりは全体を通して「放浪をしたら、そこから何かが語られなければならない」とでもいうべき、そういう意味でのステレオタイプな印象が強いのである。というのも、私は旅とか放浪というようなものに、そこまでの意味を求めなければならないという必要性を感じていないので、ちぐはぐな感じがしたのだ。もちろん、そういう在り方そのものを否定するつもりはないのだけれども、「そうでなければならない」まで行ってしまっては逆に窮屈な感じがするし、旅の持つ「日常性からの飛躍」が「意味を持つべき行為」となってしまうように思うからである。

とはいえ、冒頭の言葉の後は

ぼくは歩んだ。出会う人々は、悲しいまでに愚劣であった。出会う人々は悲惨であった。出会う人々は滑稽であった。出会う人々は軽快であった。出会う人々は、はなやかであった。出会う人々は、高貴であった。出会う人々は荒々しかった。世界は良かった。

と続いていく。こういう世界観の文章は、その後の独特の藤原新也の世界につながっていく部分だと思った。

抄録

20-21

青年は何かに負けているようであった。

多分、青年は太陽に負けていた。そして、青年は大地に負けていた。

青年は人に負け、熱に負けていた。青年は牛に負け、羊に負け、犬や虫に負けていた。

青年は汚物に負け、花に負けていた。青年はパンに負け、水に負けていた。青年は乞食に負け、女に負け、神に負けていた。青年は臭いに負け、音に負け、そして時間に負けていた。

青年は、自分を包み込むありとあらゆるものに負けていた。

疲れたその青年は目は表情を失っているようかに見えたが、太陽に射られて眩ゆく白熱する、目の前の地面を、ただぼんやりと見つめ返すだけの意思をわずかに残していた。

29

――――インドへの準備はどういうものだったんですか。

二つある。捨てること。それに準備しないこと。僕の場合はね。学校。アパート。家具。本。捨てて支障のないものは全部捨てたり、売り払ったりしたんだけど、そうしてみると、案外ほとんど自分の身の回りに切実に必要なものは、歯ブラシぐらいなものってことがわかる。さっぱりしたよ。