高橋修一
いい家をつくるために、考えなければならないこと
《住まい塾》からの提言
書誌
author | 高橋修一 |
publisher | 平凡社 |
year | 2018 |
price | 1800+tax |
isbn | 978-4-582-54464-0 |
履歴
editor | 唯野 |
2020.6.25 | 読了 |
2020.7.4 | 公開 |
2020.7.12 | 修正 |
別に私は著者が主宰している「住まい塾」と接点があるわけではないが、最近の住宅建築の特集も読んで内容に共感できそうだったので読んでみた。というよりも私が著者を知っているのはp46でも紹介されている蓼科に建てた100万円の小屋の話を、かなり以前の『住宅建築』や『住む 15号』で目にしていたからである。これは電気・水道なしという割りきった週末小屋であるが、単純な超ローコストというわけではなく、建具金物なども建具屋に余っている良い物を使えば安くなるという発想が極めて合理的であり、そういう着目の仕方が逆に新鮮で記憶に残っていたのである。
実際、読んでみると書かれていることは至極まっとうで私の考えにも非常に近い。特に戦後日本の住宅において新建材などが幅を利かせ、著者のいうニセモノ素材が蔓延している点への指摘など全く同感である。これは私も別の文章としてもまとめたいが、今の日本では住に限らず食や政治も含めてニセモノがホンモノを駆逐してしまっていると思う。もちろんニセモノが悪いわけではない。それを含めての適材適所なのだが、ホンモノがあまりにも本来というか正当な評価をされていないのが問題なのである。これは24時間換気の必要性などでも同様で、ニセモノ素材ありきゆえの発想という時点でおかしいと私も思う。
ただ、そうはいっても新建材を完全に否定するつもりは私はないし、お茶が淹れられないと住まい塾の設計士が務まらないのもどうかと思うが、背後にある主旨自体は理解できる。一方で、国内の在来工法が著者のいう「空間の質」を上げるための努力を怠ってきたのは事実だとしても、この課題を乗り越えるのが非常に大変なのも同様に事実である。設計士、施工者、施主の三位一体を説くのも全く正しいと思うがこれまたハードルが高い。いうまでもなく単純に木をふんだんに使えばよいわけでもない以上、この部分の間を埋めるための戦略、もっといえば差別化ということが求められる。ぜひとも著者には、このレベルでの提言も期待したいと思った。
抄録
10
-/-私の経験からいうと、一度で満足のいく家を建てられる人もいれば、三度建てても建てられない人は建てられない――これが現実のように思います。できれは一回で満足のいく家を建てたい――ほとんどの人がこう望むはずですが、悲しいかな、〝観る眼〟ができないうちに、多くの人が家をつくり、買うのです。普通に考えれば、〝失敗するのは当たり前〟のような状態で多くの家づくりが進められるのです。このことは、はっきりと自覚しておいた方がいいように思います。
11
(住まい塾設立以来の:唯野注)その間の私の関心事は、
第一に、日本はなぜこれほど貧しい住宅を生み続けるのか
第二に、どうすればこの状態から脱け出すことができるのか
この2点に集中しています。
そしてこの本を世に送るもう一つの動機は、情報過多の時代にあって、多くの人が、知らなくていいことを多く知り、知るべきことをあまりにも知らない、という現実を感じ続けてきたからでした。
12
いい家をつくる完璧な方法などある訳がありませんが、こんな思い、こんな方法、こういうやり方で家づくりに望めば、一度で満足のいく家が建てられる可能性が高まる――その方法をこれから述べていきます。