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森巣博
蜂起

ガイド

書誌

author森巣博
publisher幻冬舎文庫
year2008
price800+tax
isbn978-4-344-40973-6

履歴

editor唯野
2013.3.26読了
2015.3.9公開
2020.2.25文字化け修正

元は週刊金曜日に連載されていたものだが「どうせ、そのうち文庫になるだろう」と思って、それを待っていた本。そのため連載中に読んでいたのかといわれると全く読んでいない。解説には、これを読んで怒って読者をやめた人の話が載っているが「だから古典的左翼は駄目なんじゃなかろうか」という感じである。私としては、むしろ「週刊金曜日に森巣博、大いに結構」であって、ぜひともこういう一癖も二癖もありそうな人をどんどん載せてほしいものだと思う。

とはいえ、本書が描く破綻した日本という国家の行く末が虚無主義だというのは、同じく解説にもある通り、著者が好きだというクロポトキンに触発されたものだとしても、私自身は現代の日本に虚無主義ほど似合わないものはないと思っているので、その辺はやはりフィクションという印象が強かった。現実的に恐らく日本がたどるのは緩慢で抵抗のない没落であって、少なくとも団塊世代が総退場するまで(=彼らが選挙で多数を占める間は)それが続くだろう。なぜなら百歩譲って、フランスでのテロ事件が表現の自由に対する挑戦としてすり替わるのが政治というものであるとしても、日本ではそもそもテロ事件を風刺漫画でやり返して表現した人がどれほどいるのか。表現の自由があるはずなのに表現する以前に自粛されてしまうほど表現の自由がない――これこそが現在の日本における問題の根の深さであって、まさしく緩慢な没落を助長し抑止力を削ぐ大いなる力になるからである。安倍首相のように、この世代の虚栄心を満たしつつ庶民の反感を外に向けるのであれば、それは戦前の二番煎じに過ぎない。

それゆえ改憲を急ごうとする安倍首相にとっては、オウム事件が破防法を生んだように、国内でのテロ事件こそが改憲のための突破口になる――というのは、あながちうがった考えでもないと思う。少なくとも本書で描く「蜂起」よりは現実味がある。この意味では上でも触れたフランスのテロ事件は奇禍にすべきものではなく、そのような事件においてこそ一過性ではない冷静な対応が求められるともいえる。例えばテロを受けたシャルリ・エブド紙がイスラム風刺をするのであれば、風刺される側の意見にも項を割き掲載してきたか、メディアとしての偏りはなかったか――表現の自由というのであれば、この程度の検証は本来不可避のはずだが、それさえもが素通りされて世論が形成される(もしくは形成されたかのように報道される)ことこそが真の表現の自由への脅威・権利の侵犯というべきだからである。

そんなわけで週刊金曜日でも森巣氏でもいいけれども、ぜひとも今の日本の「自粛」という現象を広範に読み解いてほしいものだと思う。社会学的にもおもしろいテーマだと思うのだが。

主要登場人物

盛山純一郎懲戒免職になった警視
遠野まゆセックス依存症のOL
護国忠臣塾生のいない右翼総帥
裕子自傷癖のある高校生

抄録

11

「新聞記事を読んでみろ。NHKニュースを聴いてみな。被害者は『男性、女性』で、容疑者は『男、女』となってるだろうが」

14/15

「中小企業のおっさんが加害者となった事件の被害者は、『はね殺され』ているだろう。パトカーが起こした事件の被害者は『はねられて死ん』だ。つまり、同じ交通事故の被害で死亡しても、一方は殺されて、一方は死んだんだ」

「しかし、なぜですか ?」

「それはそのように所轄署が発表したからだよ」

-/-この国ではね、公務員は犯罪を起こさない。起こしたとしても、それを犯罪とは呼ばないんだ。不祥事だよ、不祥事。-/-

22

ちなみに、現役の警察職員として美味しい部署は、生活安全部保安課、同薬物対策課、同生活安全課、刑事部暴力団対策課、同捜査第四課、そして公安部公案第一課、同第二課、同第三課、同第四課、同外事第一課、同外事第二課の順で続く。

すなわち、現職警察官としての公安部の席は、なかなか手放したくない種類のものだった。

これが定年退官後となると、現役の所属と反転し、断然、交通部出身者が有利となる。