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山口定
ヒトラーの抬頭
ワイマール・デモクラシーの悲劇

ガイド

書誌

author山口定
publisher朝日文庫
year1991
price630
isbn4-02-260652-5

目次

1本文
2抄録

履歴

editor唯野
?読了
2014.1.13.公開
2020.2.25文字化け修正
2020.5.3修正

ヒトラーが第一次大戦後の1923年から政権を握る1933年までの10年間を、ワイマール共和国史としてナチ党や当時の政権を担った社会民主党をめぐる社会情勢を含めて追った本。第一次大戦後に誕生し当時最も先進的と謳われたワイマール共和国はなぜナチズムにとって代わられたのか――本書の提示する詳細な論考には一考させられる点が多い。実は本書は私が高校で現代史を学んだ際にナチスについて感じた素朴な疑問――なぜファシズムを喧伝するナチスの党名が「国家社会主義ドイツ労働者党」という社会主義や労働者を冠した名前なのか――という疑問にも明確に答えてくれている。

それを私なりの言葉としてまとめれば、要は当時の急進派のひとつとして登場したナチ党にとって、当然ながら一般大衆にアピールする上で社会主義や労働者というキーワードを欠くことはできず、党がヒトラーによってファッショ的な傾向を持つようになっても、党内にはそれを期待する層が存在し、それこそが最後までヒトラーを苦しめたという、本書のひとつの軸となる話題に関係している。言い方を変えるとヒトラーによる独裁に至る過程とは、そういう勢力の排除と同義だったということだ。(よく考えてみれば、そういう辺りのことを単に知識で済ませてしまうのが詰め込み教育ということなのだろうが...)

そして、本書で他に軸となるのは、ワイマール共和国が誕生した時点において旧来の社会悪をもたらした重工業やユンカーなどがそのまま残ったため、民主主義的な仕組みが極めて表面的になってしまったこと、またそれらの勢力が結局はナチ党に資金援助を行い党勢の拡大と政権の掌握に寄与したこと、更にはそれに対して与党の社会民主党は有効な手立てをほとんど打たなかったこと――がほぼ時系列的に取り扱われている。

一方、本書では戦後に一般に流布しているナチズムをめぐる見解――大資本との結びつきや、それを支持したとされる中間層の定義――にも検証を行い、前者は必ずしもナチ党の初期から行なわれていたものではないこと、後者は中間層というよりも農民や管理職階層での支持という分析をするなど興味深いものが多い。

当然ながら、本書を単なる通史としてだけではなく現代における教訓として読み取るのであれば、同じようにファシズムを経て戦後に至ったドイツや日本の戦後史、また現代をどうとらえるか――ということにも関わって来るだろう。(著者もそれに関しては後書きで触れている。)そして、この種の議論をすると左翼勢力からは使い古された言葉(保守政党によるある政策がファシズムの再来ないしは大政翼賛体制の復活)として喧伝されるが、これも少々短絡的であるように感じる。むろん、同じことがそれを批判する右翼勢力にも当てはまる。

個人的には、先の秘密保護法案にしてもそうであるが、議論をファシズムなどの単語でくくってしまうのではなく、もっと論点を分けるべきだと考える。言い換えると、法律の必要性と運用の危険性を混同した議論が目立つように感じた。必要なものを作ることと恣意的な運用を許すことは明らかに別に議論されるべきだし、既に作られたものであっても不要なものはなくさなければならない。

ワイマール共和国の経緯を見て私が思うのは、やはり民主主義というシステムにおいても、その制度や法律の運用をチェックする仕組みが不可欠なのだということだ。それは当事者においてはもちろんのこと、第三者の立場からも必要だし、更にはその種の議論を喚起するメディアの存在も含まれる。そのためには、批評を行なうための自由な言論が必要だし、それに対するテロ行為は絶対に許されてはならない。なぜなら、ナチ党がその初期において反対言論へのテロ行為を行い、軍部や警察がそれを黙認したのが、結局は端緒になったのではないかと思えるからである。そう考えると民主主義の運用に対する深い示唆を与えてくれるのが、このワイマール共和国史というべきではないかと思う。

# いうまでもなく、本書ではナチ党による政権樹立までが扱う範囲であるため、
# その後のヒンデンブルクの死に伴う第三帝国の時代には触れていない。

抄録

14

ところが、このバイエルンの右翼勢力には大きな二つの流れがあり、そのそれぞれが表面はお互いに協力する態度を示しながらも、内心では違った政治路線に沿った行動を準備していた。つまり、すでにわれわれの前に登場したフォン・カールに、バイエルン軍管区の国防軍司令官フォン・ロッソー、バイエルン警察長官フォン・ザイサーを加えたバイエルンの三頭政治家に指導されたバイエルン君主制論者たちは、皇太子ルプレヒトをいだいてバイエルンだけの王政復古と、共和国ドイツからのバイエルンの独立を考えていたのにたいして、帝政ドイツ軍部の元参謀次長ルーデンドルフとヒトラーを指導者とし、「闘争同盟」に結集したもう一つの「大ドイツ主義」的国家主義勢力は、バイエルンをドイツから分離することには反対であり、むしろ積極的にベルリンに進軍して、社会民主党のエーベルトを大統領とする共和国政府を樹立し、ドイツ全土に国家主義者の独裁をうちたてることを目標にしていた。

こうして一方は「ベルリンからの解放 !」をスローガンにしたのに対して、他方は「ベルリンへの進軍 !」を唱えたのであった。-/-

15 cf.20-22