寺山修司
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書誌
author | 寺山修司 |
publisher | 角川文庫 |
year | 1984 |
price | 430 |
isbn | 4-131521-2 |
履歴
editor | 唯野 |
1993-1995 ? | 読了 |
2001.8.13 | 公開 |
2001.10.22 | 修正 |
2020.2.25 | 文字化け修正 |
いったい、いつ読了したのか全く不明な本。付箋の貼り方から見て学生時代の始めの頃と思われるが、これも確証はない。放ってばかりおくのも不憫なので、帰省ついでの暇を見つけたときにでもまとめておこうと思っていたが、実際その通りになった。元の文脈も思い出せないような有様なのだが、たまには完全な断片だけからの後追いも一興だろうか。まとめた感じからいうと、内容は荒俣宏的な世界になっている。(こっちの方が先輩でしょうが。)
抄録
13/14
もともと魔術は、人類が自分をとりまく世界を理解しようとする試みであり、その始原的な形態は、二万年前の東アフリカの類人猿の出現と同時に生まれたものであった。
そして、「個人」という概念を獲得するために、偶然性を味方につけようとして、祈り、占い、そして不可視を「見ようとした」のである。
古代では、運命はもっぱら国家とか部族のものであり、すくなくとも「諸個人がそれぞれの運命をもつ」ことは許されていなかった。
だが、それが毎日の生活に欠かせなくなってくると、祭式の専門家としての魔術師を必要とするようになった。
聖霊と対話し、天界と交信することによって、運命を「うらで取引きしてくれる」というのが、彼らの仕事であり、それはやがて、演劇の起源とも、深くかかわりあいをもつようになっていったのである。
15-16
だが、十八世紀から十九世紀へかけて、ストリート・マジシャンは、ステージへ押しあげられていった。白昼夢を、「つくりもの」として、舞台の虚構性の中に封じこめてしまおうというのは、権力者の知恵というものであろう。
摩言可不思議は、いつのまにか「芸能」化されていった。
芸としては深化していったが、日常の現実をおびやかす牙は、まったく抜きとられてしまった。