ホーム > 読んだ

荒俣宏
新編
帯をとくフクスケ
複製・偽物図像読解術

ガイド

図像を様々な角度から読み解くいかにも著者による本

書誌

author荒俣宏
publisher中公文庫
year1996
price780
isbn4-12-202517-6

目次

1本文
2抄録

履歴

editor唯野
?.8.15読了
2012.10.12公開
2020.2.25文字化け修正

相当前に読んだ本だが、今読んでみても十分におもしろい。本書は全編を通して様々な「図像」を様々な観点より読み解いているが、一般に流布するようになった(=観念化された)図像はもはやメディアであり、そこでは当初の意義は失われていることが多いものの、それこそがおもしろいのだという趣旨では一貫しているように思う。

よい意味で固定化されたものの見方を覆してくれるというか、そういう発見のある、楽しい一冊である。

抄録

6-7

申すまでもなく、現今の美術界低迷の原因は、ひとえに“価値”尊重主義にある。ここで価値というは、<名前><真偽><希少性>などの要因により決定される市場の価値のことである。つまり、質(クオリティ)の名において、画像を差別する商業のわざにほかならない。巨匠が手ずから描いた唯一の原画 = 本物についてだけ、これを美術として論じうる対象と認めるのである。

ところが、この清潔な主義を貫きすぎると、美術は骨董品、すなわち「物(ブツ)」へと堕してしまう。そもそも世に存在する美術の第一義的な役割は、絵によって何を伝えるかという図像の訴求力にあった。ゆえに、誰が描こうと、オリジナルであろうとなかろうと、図像は図像として成立する。「物(ブツ)」ではなくて「メッセエジ」なのである。

42

まず奇妙な事実をひとつ。ハワイやグアムなど南の楽園へ誘う観光ポスターには、日本人があれほど好きな金髪色白の外国女性が滅多に登場しません。-/-美女はやはり黒髪です。

38

つまり、何ように芸術を足し算すれば、答えはユートピアの表現となるわけであります。熱帯南洋絵画のことごとくは、ユートピア願望を満足させる装置として仕組まれた、<欲望図像>にほかなりません。