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村上龍,坂本龍一
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超進化論

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書誌

author村上龍,坂本龍一
publisher講談社文庫
year1989
price470
isbn6-184359-1

目次

1本文
2抄録

履歴

editor唯野
2000.12.20読了
2001.1.2公開
2002.10.6修正
2020.2.25文字化け修正

ニューアカデミズム華やかりし頃の対談集。しかし、登場する論者は吉本隆明、河合雅雄、浅田彰、柄谷行人、蓮實重彦、山口昌男という錚々たる面々である。当然ながら、中には私では意味不明な用語もたくさん登場し、巻末にはそのための用語集まで付いているという敷居の高い本となっている。しかし、それだけに内容はなかなか刺激的だ。

とはいえ、一読して個人的に最も示唆に富んでいたのは坂本龍一の言葉の数々だった。もとより私が本書を手に取った理由自体が、村上龍というよりは坂本龍一という名前だったので、当たり前といえば当たり前なのかもしれないが、本書を何よりもおもしろくしている真の主役は彼なのではないかという感じがする。抄録を見ても分かるように、言葉の端々からそういう印象を受けるのだ。

抄録

12

坂本 時代という現場と自分と、それから自分が生む作品。この三つの関係の取り方で、小説家や画家は現場に行かなくてもいいわけだからさ。僕たちのような日本の音楽家というのはさ、カメラマン的なわけじゃない。いつも自分で顔を出しててさ。

14

坂本 それは言える。これもよく言ってた比喩なんだけどさ、尺八の音を使いたいと思うじゃない。自分が使いたい尺八の音を自分が出すためには、十年とかかかるわけ。待ってられないよ。その音をシンセサイザーでやれば、十分ぐらいでできる。しかもいいことには、尺八だと、日本の尺八の音だと分かっちゃうわけだけど、シンセサイザーだったら、あいまいですむわけよ。日本的でもあるし、しかし無国籍だし。時代のどこに置かなくちゃいけないということもないしさ、すごく自由なんだよね。だから、シンセサイザーとつき合ってきたというのは、やはり、とても大きい意味があったと思うよ。

21

坂本 音楽家同士って会ってもあんまり刺激になんないんだよ。言葉で共有できるところってないんだよね。