木城ゆきと
水中騎士 (全3冊)
AQUA KNIGHT
ガイド
書誌
author | 木城ゆきと |
publisher | 集英社 |
year | 1999-2000 |
price | 各\800+tax |
isbn | 8-782582-5 (1巻) |
目次
1 | 本文 |
履歴
editor | 唯野 |
2000.autumn | 読了 |
2002.2.10 | 公開 |
2002.2.18 | 修正 |
木城ゆきとが『銃夢』に続いて描いた長編作品。一見したときには、何よりもまず、そのがらっと変わった絵柄に驚いた。それゆえに中身的にも変化を持たせようとしている部分を強く感じたのだが、しかしながら、どうもこれがあまりうまくいってない。私的にいまいちな部分を挙げると、エゴの強すぎるアルカンタラだとか、妙に伝記色や説教色の強い部分などである。
また「人生には物語が必要なのだ」という締めくくり方も安易に過ぎる感じがする。なぜなら、そこでは対立概念となるはずである「虚無」が戯画的なレベルに貶められてしまっているからだ。「虚無」がああも簡単に克服されるものならば、それは「虚無」とはいえないし、人間の持つ闇の部分はそんなに軽いものでもないと私は思うからである。(『灰者』辺りを読む分には、著者ならそういう切り口もできそうな印象を持っていただけに残念である。)著者の Web サイトによれば、まだ作品は完結というわけではなく(確かに 3 巻の終わりは強引で、いかにも打ち切り的なものを感じる)、追って続きを書くつもりらしい。しかし、個人的にはもっとそういう意味での安易な救済ではない展開を望みたい。私が『銃夢』を作品の持つ根本的な矛盾を超えて認めるのは、その終り方にあるのだから。
しかし、木城ゆきと + ネットというと、どうしても「銃夢 HN 事件」が有名すぎる。これは銃夢のハンドルネームを使ったことに木城ゆきとがいちゃもんを付けた出来事のことだが、まあ狭量というか「そんなこと、どうでもいいではないか」という感じであり、結果はもちろん著者側の謝罪で幕を閉じている。しかし、今でも未練があるというか著者のメンタル面での影響は大きいらしく、それが『銃夢』でのああいう終り方と現在執筆中の『銃夢 Last Order』での再開にもつながっているらしい。
個人的には、上述しているように、『銃夢』には根本的なレベルでの作品における矛盾がある。それは、この作品が大仰に扱う「ザレム人の脳はチップである」という点がノヴァ(このキャラクタ自体は大好きですけどね :-))のいうカルマ(業)の克服の障害にはなりえないという点だ。というのも、カルマの克服というのは有限の生を持った不完全な生き物としての人間にこそ当てはまる問題なのであり、全身サイボーグ化されたり脳のチップ化されたザレム人では、(人間の持つ不完全性の一部を克服していることにより)そもそものカルマの持つ意味自体が変容するためである。『銃夢 Last Order』も今のところは、この物語設定の延長線上にあり、この点では残念だが、著者がこういう点をどう料理するかは今後の展開次第ではあるので期待したい。