坂口安吾
桜の森の満開の下
ガイド
書誌
author | 坂口安吾 |
publisher | 講談社文芸文庫 |
year | 1989 |
price | 840 |
isbn | 6-196042-3 |
履歴
editor | 唯野 |
2000.1.x | 読了 |
2000.2.27 | 公開 |
2000.2.27 | 修正 |
2020.2.25 | 文字化け修正 |
坂口安吾の小説集。個人的には不条理な展開をみせつつもそれが独特の読後感を残す表題作と「夜長姫と耳男」がよかった。解説を読むと、これらの物語が持つ寓意性にまつわる難しい話が展開されているが、要は安吾における美とは生きることぎりぎりの必要がかもし出す種類のものであり、彼の作品で漂泊者が意味を持つのは著者の人生が関係している――ということらしい。本書は全体として見ると歴史小説的な作品(「二流の人」「家康」など)が大部分を占めるものの、安吾の小説世界全体を俯瞰する意味ではうまくまとめられている一冊だと思う。
ちなみに私が初めて安吾に接したのは浪人時代のことで、今思えば浪人時代には安吾やら寺山やらとろくな本を読んでいなかった。これはやはり無意識のうちに、結局はそういう本を選んでいたということなのだろう。正直にいうと、当時は『堕落論』もよく分からなかったところが強かった。(今でも分かっちゃいないのだろーが :-P)なぜか、むしろ『白痴』の方が印象としては残った記憶がある。
まあ、要するに何がいいたいのかというと、実は久しぶりに安吾の本を読んで一番に思ったのは「そういう読書の時期もあったのだな」という意味でのある種のなつかしさだったということだ。誰にだって、そういう作品や作家とは何も関係のないところで――しかし本人には特別な意味をもった――本なり物とのつながりがあるものだが、私にとっての安吾とはそういう関係なのである。
抄録
134-137
農民の損得勘定が日本の歴史を動かしてきたのだという箇所。
166/240-241
-/-天才とは何ぞや。自己を突き放すところに自己の創造と発見を賭けるところの人である。
-/-天才達は常に失うところから出発する。彼等が彼自体の本領を発揮し独自の光彩を放つのは、その最悪の事態に処した時であり、そのとき自我の発見が奇蹟の如くに行われる。-/-
193-194
朝鮮戦争で初期の快進撃のできたのは朝鮮軍が鉄砲を持たないためだった。(逆にいうと明軍は持っていたから戦争は膠着状態に陥った。)