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G・パスカル・ザカリー
闘うプログラマー (全2冊)
ビル・ゲイツの野望を担った男達

ガイド

書誌

authorG・パスカル・ザカリー
editor山岡洋一(訳)
publisher日経BP出版センター
year1994
price各\1,400
isbn8227-4016-1(上)

履歴

editor唯野
2001.4.19読了
2001.4.20公開
2002.8.2修正
2020.2.25文字化け修正

デビッド・カトラーという男を軸にしながら Windows NT の最初のバージョンがリリースされるまでを追ったノンフィクション。私はコンピュータ関連の本というと技術書ばかり読んでいるところがあって「たまにはこういう本を読むのもよいものだ」というのが一番の感想だった。さすがに、私がカトラーのようなエネルギーを持続できるのかといわれれば無理としかいいようがないが、この本を読むと別に働き蜂やモーレツ社員は日本だけの専売特許でも何でもなくて、アメリカにも(そして他の場所でも)いるのだということがよく分かる。要は割合の問題なのだろうが、まあこのようなプロジェクトが正しいのかどうかはさておき、それゆえにこそ本書ではプロジェクトを通じたプログラマー達の葛藤や悩みにもそれなりの項が割かれており興味深い。

結果から見ればプロジェクトは成功に終わったわけで、著者もそれゆえか、プロジェクトそのものへの否定的な見方というものはしていない。しかし、やはり犠牲も多かったのではないかという印象も強かった。それゆえ、問題はそういうプロジェクトで生じた問題を後へどう生かしているか――という点なのではないかという気がする。仮にカトラーが犠牲の上でプロジェクトを達成したとするならば、次のプロジェクトではその犠牲を減らすために何を行い、実際にどれだけの成果を上げることができたのか、恐らく問われるべきはそこだろう。もちろん、それは本書の後の物語であり、この本で描かれるカトラーとは別のことだ。しかし、少し前に読んだ 『デスマーチ』 にあるように、ほとんどのソフトウェア・プロジェクトの状態がこのようなものであるとすれば、私のような三文プログラマといえど、思考はそういう方向へ飛んでしまう。

まあ、ネガティブにばかり考えても仕方がないので、逆に素直に参考になったところを挙げると、やはり「できるプログラマたち」の姿だった。特にスティーブ・ウッドの話が印象的で、学究肌の部分と実用本位の部分のバランスの取れている姿などは私も学びたいもののひとつだ。今でいえば Linux のようなオープン思想と Microsoft のようなビジネス的発想が同居できるというところだろうか。また、ルコフスキーの細部が全体にとってどういう意味を持つのか把握できる能力など。このような真のハッカーたちの姿は読むだけでも得るところがあり、ノンフィクションだからこその説得力があってよかった。

また、世評からいうと NT という OS は芳しいものではなかった面があり、私も NT 4.0 までは使う気にならなかった。実際、マイクロソフトぐらいでなければ NT のような OS を作れる力のある企業などないという反面、マイクロソフトの商品だからこそ NT は今まで完成度を別にして存在できたところがある。しかし、考えてみれば、こういうプロダクトでもそれに携わった人たちの努力や苦労は確かにあるのであって、それと世評そのものは別問題だという当り前のことも勉強になった。「自分もプログラマのくせに、安易に文句だけいっている部分があるな」という点で反省すべきだなと思った。

抄録 (上)

9

NT は New Technology の略。

19-21/34-38/61

カトラーの生い立ちから DEC を経てマイクロソフトへ入り、NT 開発部隊を率いるようになるまで。始めはコンピュータを嫌って(当時はまだそういう時代だった)デュポンに入社するが、次第に全てを思い通りにできるコンピュータに関心を持つようになり DEC へ移る。ゴードン・ベル (エンジニアリング責任者) の支援のもと、カトラーは VAX を積んだ VMS の開発で指揮を執り高い評価を得る。しかし、次第に DEC の官僚体質に嫌気のさしたカトラーは独立チームを作ることで距離を置こうとするものの、ベルがいなくなったことなどもあって、ここでのプロジェクトは中途半端な結果ばかりのものになる。これに満足できないカトラーは DOS に代わる新しい OS を計画していたビル・ゲイツと思惑が一致したことで 88 年に Microsoft に入り、OS の開発チームを結成する。そして、それが Microsoft が OS/2 から手を引くことに前後する Windows との互換性を前面に押し出した NT として具体化していくことになる。(cf.153/155)

25-27