カール・シュミット
パルチザンの論理
政治的なものの概念についての中間所見
ガイド
書誌
author | カール・シュミット |
editor | 新田邦夫(訳) |
publisher | ちくま文庫 |
year | 1995 |
price | 980 |
isbn | 4-480-08228-X |
履歴
editor | 唯野 |
?.11.25 | 読了 |
2015.6.3 | 公開 |
2020.2.25 | 文字化け修正 |
カール・シュミットという人は俗にナチズムの理論的指導者ともいわれ、その種の評価が先行しているのも事実であるが、訳者が後書きでも述べているように彼の活動は多方面にわたり、またナチスとの関係も長期的なものではなかったことを考えると、確かにその一点だけで彼を評価するのは正しくないと思う。(むろん、ワイマール体制への批判がナチスを後押しする結果となったことも否定はできないが。)
本書が扱うのは、戦後における彼から見たパルチザンという闘争形式に対する整理であり、彼の政治理論の特徴のひとつである「敵-味方」概念の中でのパルチザンというものが述べられている。クラウゼヴィッツの古典的な戦争論からレーニン、毛沢東によるパルチザンの政治的利用までを扱い、彼の理想とするヨーロッパ公法の世界(19C的な主権国家間戦争)との対比が述べられている。それを補う意味で本書の解説は良くまとまっていると思うが、冷戦という核の脅威の下での時代とはいえ、私としてはあくまでも主権国家という枠組みは越えていないのではないか――という読感が強かった。
すなわち、パルチザンというものを主権国家というシステムの矛盾により出現したものとして捉えたとき、それが主権国家によって利用される側面も確かにあるが、その限界を露呈する典型的なひとつの例として突き詰めるべきではないかということである。言い換えるとシュミットはパルチザンをあくまでも従来の国際法の枠内で説明しようとしている感がある。私はシュミットの他の著作を読んだわけではないので突っ込んた言及は避けるが、冷戦後の現代においてシュミットを読み解くのであれば、そういう視点の方が有効なのではないかと思った。
抄録
11
パルチザンの理論 についてのこの論文は、わたしが一九六二年春に行なった二つの講演をもとにしている。すなわち、ナバァラ大学の招待で、パンプローチにおいて三月十五日に行なった講演、および、パラフォックス講座の座長であるルイス・ガルシーヤ・アリーアス教授の招待で、パラフォックス講座 主催のもとに、サラゴサ大学において三月十七日に行なった講演である。この講演 は、この講座の出版物の一つとして、一九六二年末に公刊された。
15 cf.16
パルチザンの問題についてのわれわれの考察の出発点は、スペイン人民が一八〇八年から一八一三年までの間において外国の征服者の軍隊に対して行なったゲリラ戦争である。この戦争において、初めてその人民――市民以外の、工業化以前の、在来型の軍隊以前の人民――は、近代的な、フランス革命の経験から生まれた、よく組織された、正規の、軍隊と衝突した。それによって、戦争の新しい空間(ラウム、Raum)が開かれ、戦争遂行の新しい概念が開発され、戦争と政治についての新しい理論が発生した。