トマス・マン
マリオと魔術師
ガイド
書誌
author | トマス・マン |
editor | 竹山道雄(訳) |
publisher | 角川文庫 |
year | 1955 |
price | 360 |
isbn | 4-208102-9 |
目次
1 | 本文 |
履歴
editor | 唯野 |
1999.10.28 | 読了 |
1999.10.30 | 公開 |
2002.11.28 | 修正 |
2010.12.21 | 修正 |
2020.2.25 | 文字化け修正 |
久々に「文学」というやつを読んだという感じのした本。まあ、読書の秋であるから、こんな本の一冊も読めば、やはりそれだけで満たされた気分にもなろうというものである。内容的にはチポラという名の奇術師の見世物の中で奇術が人を操りだしていくことにより、奇術が傀儡の術と化していく――というものだ。チポラは血気盛んな観客の意思の力を試し、絡み、腹を立て、そして使役していく。相手が闘争的であればあるほどチポラの奇術は力を得て相手を屈していくのである。もちろん、それは既に奇術という名のものではないのだが、その異様な雰囲気は確実に場を支配してゆき、チポラはその場に君臨していくのだ。しかも、彼はそれがいかにも嫌で嫌で仕方がないというべき姿を演じながら進めていくのである。
ところが、その異様な場は、彼が操ったマリオという男の銃弾によるチポラ自身の死という展開によって、あまりにも意外な結末を見せる。おまけに、その場が覚醒される間もないままに物語そのものも幕を降ろしてしまうのだ。それでいて、物語の語り手は「あれが満足な解決であった。」と信じて疑わないのである。そこに、「ファシズムの心理学」を描いたと評される作品の背景が重なるしかけとなっている。
このように表題作は 1930 年の作という、あまりにも密接な関係を持った時代背景という点に、もうひとつの大きな特徴を持っている。それでいて物語は非常に高い完成度を持っており、そういう背後の事情を知らなくとも、チポラの奇術の不気味さなどは十分に伝わるできになっている。リバイバル版であるため訳語は古いものの、逆にそれが時代の雰囲気を感じさせる効果を生んでいるように思った。