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呉競
貞観政要
全訳注

ガイド

部下の声にも耳を傾けるトップという視点で紹介されることが多いが...

書誌

author呉競
editor石見清裕(訳注)
publisher講談社学術文庫
year2021
price2310+tax
isbn978-4-06-521912-6

履歴

editor唯野
2023.9.15読了
2023.9.20公開
2023.10.10修正

唐の第二代皇帝、太宗・李成民の治世は俗に「貞観の治」と呼ばれ、中国史を通じて特に安泰した時代として知られている。また本書はその太宗の統治を臣下からの諫言にも耳を傾ける為政者という姿勢で評価した本として著名である。特に近年ではそういう経営トップのためのビジネス書として紹介されることも多い。

しかしながら、太宗の徳が全くなかったとはいわないまでも、「貞観の治」をもたらしたのは本書でも触れられているように2つの外的要因、即ち五胡十六国・隋末の混乱を経て国全体が長引く戦乱の世に倦んでいたこと、最大の脅威であった北方の突厥が分裂・滅亡したという点に負うところが大きい。特に後者は中国史全体を通じてみれば、いかに影響の大きいかがよく分かる。また、太宗自身も玄武門の変で兄弟を殺して皇帝になったこと、本書にも登場するように後年になると太宗も独善的になり、あれほど嫌っていた隋の煬帝に近くなっていたこと、などを合わせて考えると、むしろ経営トップとしては権力を持ち続けると結局は腐敗するという、そちらの真理の方がためになるのではないかと思われる。

訳出は大変わかりやすく、原文も併記されている。時代が下っているので各所で引用される古典も多いが、それらについても各章冒頭にて解説がされている。むしろ古典の引用にほぼ確実に出典のある辺りが中国史の奥深さというか、いかにも中国の政治書という感がある。四書五経なり徳治主義の影響の大きさが逆によく分かる。個人的にはむしろその辺の方が新鮮な感じだった。

抄録

14

六鎮の一つ、武川鎮の兵士は、宇文泰という武将をリーダーにして華北の勢力と戦い、やがて長安に拠点を置いた。一方、洛陽には懐朔鎮出身の高歓が入って政権を牛耳った。時の北魏の皇帝はそれを快く思わず、西の長安の勢力に招かれて洛陽を脱出した。宇文泰側はそれを受け入れ、ここに北魏は東魏・西魏に分裂することになった。一般にはこれを「北魏の東西分裂」というが、実情は西側が勝手にもう一つの魏を名乗ったにすぎない。

さて、宇文泰とともに武川鎮から長安方面に移動した人々のなかに、隋の初代皇帝文帝(楊堅)の父と、唐の初代皇帝高祖(李淵)の祖父がいた。彼らの一族は、宇文泰の西魏建国に協力し、宇文氏が西魏から皇帝の位を奪って国号を周(北周)と改めると、その政権内で勢力をつけていった。そして、六鎮の乱の時代から数えて、第二世代と第三世代がそれぞれ隋と唐を立てて初代皇帝となったのである。隋も唐も西魏・北周の政権から出た勢力なので、どちらも長安に拠点を置いた。

15-16