リチャード・バック
イリュージョン
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書誌
author | リチャード・バック |
editor | 村上龍(訳) |
publisher | 集英社文庫 |
year | 1981 |
price | 310 |
isbn | 8-760068-8 |
履歴
editor | 唯野 |
2002.summer | 読了 |
2002.10.30 | 公開 |
2002.10.30 | 修正 |
2020.2.25 | 文字化け修正 |
リチャード・バックというと『かもめのジョナサン』が有名というか、私もこの本しか読んだことはなかった。確か『かもめのジョナサン』を読んだのは高校生くらいの頃だと思うが、今でもうまく言葉にはできない読後感を味わった記憶だけは残っていて、そう考えてみると世の中の正否・正邪なんてものが簡単に割り切れるものではないのだというようなことを、私の場合このような本からこそ学んでいたような感じがする。
というのも、例えば全く逆の立場を取る正反対の結論の本を 2 冊読むのと、1 冊の本でその双方の要旨をまとめて読むのとが異なるように、リチャード・バックの物語では更に読者にそういう話題を提示しながら、それをあくまでも副題的に扱っている――というべき点でアプローチの仕方に隔たりを感じるからだ。そういう意味で本書もひっくるめてこういうジャンルの本を「大人のための童話」と一律に呼んでよいのかどうかは不明だが、私がこの本を読んで、かつ『かもめのジョナサン』と同じように感じた読後感がそこだったのも事実である。実際、本書には『救世主入門』という本が登場し、その中のメッセージも登場するが、それ自体、極めて間接的な手法だと思う。
別の言葉を用いるならば、それは極めて暗示的な世界ともいえるし、警世的・皮肉的などなど、いろいろ形容のしようはあるだろう。しかし、かもめのジョナサンの無知や無謀をそれだけで終わりにすることが無意味であるように、本書のドン(飛行機乗りの救世主)の非力さや限界だけを論じても意味はない。そのように見えるはざ間の部分に何を見い出すか――もっといえば見い出せるか、そしてそのことの重要性――というようなことこそ考えるべきなのではないかと思った。
主要登場人物
ドン ドナルド・シモダ。飛行機乗りの救世主
リチャード ドンと旅をすることになった飛行士
抄録
20-21
(30)「うん、それではどうかな」と救世主は再び尋ねられた。群集のざわめきは続いていて、大声をお出しにならなくてはいけなかった。
「もし、神が君達の目の前にお立ちになって、『これから先ずっと、この世界で幸福に生きることを命ずる』とおっしゃられたら、その時君達はどうしますか ?」(30 は丸付き数字:唯野注)
56
「どうしても言いたいことがある。自由が欲しい時は他人に頼んじゃいけないんだよ。君が自由だと思えばもう君は自由なんだ。リチャード、このことのどこが一体難しいんだ ? でも群集は耳をかそうともしない、ほとんど全員がそんなこと信じられないって言う。自動車レースや象の逆立ちを見たいのと同じなんだ、欲求不満と無関心、これだ、みんな二つしか持っていない、他の救世主達はどうやってるのかなあ ? 我慢してるんだと思うなあ」cf.149-150
66
学習は、すでに知られていることを見つけ出すこと。
行為は、学習の証明。
教育とは、被教育者に、君らも教育者と同じ程度のことを知っているのだと気付かせること。
これは『救世主入門』より。