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ホフマン
ホフマン短篇集

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書誌

authorホフマン
editor池内紀(編訳)
publisher岩波文庫
year1984
price570
isbn0-324142-8

目次

1本文
2抄録

履歴

editor唯野
2001.7.20読了
2001.7.22公開
2003.11.19修正

解説にもあるように日常-非日常の境界として「鏡」を使った作品を集めた短編集。これは訳者の意図にもよるもののようだが、こういった道具からだけでなくホフマンらしさというものの感じ取ることができる内容だったと思う。

一読して最もおもしろかったのは 『黄金の壺』 にも近いストーリーの「ファールンの鉱山」だった。これは未知の鉱脈に憑り付かれたエーリスがユッラとの婚礼の日に鉱山へ出かけたまま落盤に遇うという悲しい物語である。しかし、元は船乗りだったエーリスをファールンへ誘う、トールベルンという謎の鉱夫が地の底で垣間見せる美し過ぎる光景、そして結末は読者の心を捉えて離さないだろう。一方、「砂男」は日常-非日常の接点が最終的には狂気に至る作品で、こればかりは目玉、鏡、錬金術、生気のない娘への恋といったキーワードから想像していただくしかない。

なお、本書の別の特徴を挙げるとすれば、それは主人公たちが自分は頭がおかしいんじゃないかと自問を繰り返していながら悲劇へ進んでしまう点で、それが逆に物語のリアリティを獲得するのに一役買っている点であると思う。

抄録

311-312/317 解説より

しかし、異常とは何だろう ? おさだまりのこの世の秩序に従って、変わりばえのしない幸せを手に入れるのが正常であるのだろうか。幻想の中に踏みこんだ大学生にとっては自動人形のオリンピアこそ理想の恋人であって、処世にたくみで常識あるクララが自動人形にすぎなくなった。彼は現実の世界は失ったかもしれないがもう一つの世界、第二の人生というべき夢の世界は確実に手に入れた。そして夢がそうであるようにこの世界もまた浮世とは別の秩序のもとにある。現実の世界を失って別の秩序に踏みこむとき、一般にそれは狂気とよばれるが、それというのもほかに適当な言葉を知らないせいかもしれないのである。

ホフマンはもしかすると人間というものを、当の人間が思っているほど確かなものとはみていなかったのではあるまいか。彼にとって人間は「健全な」人々が信じているほど尊厳ある生きものでも万物の霊長でもなかったようだ。もっとあやうい、もっともろい、もっととりとめのない、もっと曖昧なものだった。手をつくせば本物そっくりを人工的に造り出せかねない *からくり* から成り立っていた。

からくりが精巧なのではなく、人間の側がからくりの集まりなのだというのがおもしろいように思った。