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エリック・シュローサー
ファストフードが世界を食いつくす

ガイド

書誌

authorエリック・シュローサー
editor楡井浩一(訳)
publisher草思社
year2001
price1600+tax
isbn4-7942-1071-X

履歴

editor唯野
2009.6.29読了
2013.7.30公開
2020.2.25文字化け修正

かなりおもしろい本で、戦後のアメリカ社会の変化をファーストフード・チェーンの台頭という点に焦点を当てながら、その普及がもたらした農業、流通、企業倫理の問題を数多く提起し、更にはそれが全世界へ「輸出」されている実態にまで触れているノンフィクションである。私は元よりそれほどマクドナルドに行く方ではないが、本書を読んでからはその頻度が更に減った。(というよりも数えるくらいしか行っていない。)個人に対してそういう影響力を持ち得るだけの内容が書かれた本である。

考えてみると「食」という意味で、ファーストフードほど今の時代を指し示すものもないように思われる。今日でさえ、日本の地方都市でスタバができると行列ができるというのは、その手の店舗に新しくてポジティブなイメージが付随するからなのだろうが、どこへ行っても同じサービスのものが、なぜわざわざありがたがられなければならないのか ? と考えてみると、おかしな感じもする。もっといえば、フランチャイズ・チェーンに付与される、それらプラスのイメージはどこから来るのか ? ハッピーなファミリーを演出する広告のせいなのか ? それとも...

そもそも、資本主義国家としてのアメリカはやはり「消費」をもたらす「仕組み」を、よく思い付いてきたものだと思う。住宅におけるマイホームという消費、マイカーという消費もその一部であろう。そして、その消費経済が国力につながってきた。しかしながら、マイホームがサブプライムを生んだように、ファーストフード的食文化は(本書が指摘するように)肥満をはじめとする問題を生んだ。吉野家の牛丼のキャッチフレーズではないが「早い、安い、うまい」という、よいことばかりでは、やはりないのである。

本書で戦慄させられるのは、ひとつはそういうファーストフードで提供される食材を作る側の環境が非常に劣悪であり、社会的に下層の人びとを食い物とすることで成り立っているのだということ、そしてファーストフード的文化が市場の「開放された」国々へ真っ先に乗り込む尖兵と化している現実である。上述したスタバの光景は世界中で起こっていることなのであり、アメリカナイズの象徴が今やコカ・コーラではなくマクドナルドなのだというのは確かに事実だろう。

それほどの力を持つに至った巨大企業に対して、個々の消費者である我々はどういう関係を築くべきなのか ? 本書が最後に説くように21世紀がその種の巨大企業との戦いの世紀になるだろうという指摘は、私も正しいと思う。今や消費という行動は、その過去の履歴までがコンピュータに蓄積され、個々人向けにパーソナライズされて来る時代である。個人的に当面に問題とされるのは、そこで企業がどこまで個人のプライバシーに介入できるのか、という点だろう。でも、三度の食事まで提案されたものにしたくはないなぁ――と私は思うのだが。

抄録

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本書は、ファストフードについて、それが具現化する価値観や、それが築いてきた世界について述べた本である。ファストフードはアメリカ人の生活に革命的な影響を及ぼしてきた。わたしは商品という面からも、象徴(メタファー)という面からも、これに興味を抱いている。人びとの食べるもの(あるいは食べなかったもの)は、どのような時代であれ、社会的要因、経済的要因、技術的要因の複雑な相互作用によって決定される。-/-

11-12

マクドナルド社は、現在アメリカ国内の新規雇用の九十パーセントを担うサービス業の、大きな象徴となっている。-/-同社が毎年新規に雇う約百万人という数は、アメリカの公営、私営を合わせたどんな組織の新規雇用者よりも多い。マクドナルドはわが国最大の牛肉、豚肉、じゃがいも購入者であり、二番目に大きい鶏肉購入者でもある。また、世界一多くの店舗用不動産を所有している。実のところ、利益の大半を、食品の販売からではなく家賃収入から得ているのだ。マクドナルドは、ほかのどんなブランドよりも多額の広告宣伝費を投じている。その結果、コカコーラの座を奪って、世界一有名なブランドになった。同社はアメリカのどんな私企業よりも、数多くの遊び場(プレイランド)を運営している。そして、わが国有数の玩具販売業者でもある。

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