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ジンメル
愛の断想・日々の断想

ガイド

書誌

authorジンメル
editor清水幾太郎(訳)
publisher岩波文庫
year1980
price410
isbn0-336441-4

履歴

editor唯野
1999.12.3読了
1999.12.6公開
2002.11.24修正
2020.2.25文字化け修正

ジンメルといえば著名な社会学者であるが、本書は彼の遺稿集からの抜粋を一冊の本としたものである。書名にもあるように、ここでの「愛の断想」は、彼にとっての「愛を知る人とは」という意味合いが強いものだ。これは後書きで語られているように、彼自身の愛人の存在にかけたものであったようである。一方の後者は彼の哲学者としての側面を示したもので、なかなかの寸言が並んでいる。実をいうと、既にこの読書ノートでも、そのうちのひとつは収録済である。(探してみよう :-))

それはさておき、ジンメルのような(いわゆる社会学の礎を築いた)人を見て私が思うのは、その学問の扱う対象領域の広さである。これはウェーバーにせよ、デュルケムにせよ、マルクスにせよ皆にいえることで、こういった人たちは社会学者でもあれば哲学者でもあり、経済学者でもあるといった、実に幅広い側面を持っている。もちろん、学問そのものの成熟していなかったがゆえに、そういう活動領域を後付けされるような必要性もなかったのだろうが、やはり専門分化してしまっている現在の学問の世界のことを考えると、すごいなと思わずにはいられない。そういえば、利根川進氏がノーベル賞を取ったときに、「取れる分野を選ばなければならない」といっていたのを、ふと思い出した。

愛の断想

13

愛を知る人においては、愛は自己目的である――生殖のためでもなく、快楽のためでもないことが、彼にとっては決定的である。

14

愛を知る人というのは、取ることと与えることとが一つであるような人間、取ることによって与え、与えることによって取るような人間なのである。

45

キリスト教の愛は、本質的に、助力の意思へ向うもので、他人の苦しみによって実現されるものである。こうして、キリスト教の愛は一般的なものになって行く。極めて深く且つ全く個人的な苦しみは、他人に手が出せるものではない。手が出せるのは、一般的な悩みだけで、貧困、病気、孤独なら助けることが出来る。キリスト教における愛の心の内容は、その宗教的基礎と同じように、一般的なものである。