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新風のために

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editor唯野
2000.11.12公開
2000.12.29修正

このところ長野県がホットである。田中康夫が知事になったり、それに付随した名刺事件のおかげである。知事選そのものは田中康夫が勝つであろうと思っていたので、特別な感慨はない。強いていえば大差で勝利した点で、県民の「新風」に対する期待の大きさがうかがわれたという程度である。個人的には少し前、田中秀征が衆院選挙に落選した時点で長野もこれまでかと勝手に思っていたが、やはり変化を求める土壌はあったということになる。

しかしながら、田中知事の前途は厳しい。なぜなら、議会・県庁内部を見ても孤立無援であるため、そういう中では早急な変革など無理だし、むしろ下手な掛け声は掛け声だけで終わる可能性の方が高いからである。

そういう状況を象徴するかのような出来事が例の名刺事件である。私はあまり名刺というものに執着するつもりはないが、それよりも私は名刺を折ったことに対する反応の大きさから、民主主義のあまりにも基本的すぎることを再認識させられた。それは知事が誰によって選ばれ、誰の力を背景にしているのかということである。今回の事件はそのことを非常に分かりやすく示した。(そんなことすら今の日本では不透明に見えているということだ。)だから私にいわせれば、今回の出来事で最も利を得たのは田中知事本人だということになる。このままであれば孤立無援のまま知事の仕事を始めなければならなかったのが、おかげで議会・県庁内に対し、これ以上はない牽制と先手を打つことができたからである。(これに比べれば抗議の件数だとかはどうでもよい。)

それゆえ、ひねくれ者の私としては、この田中知事にとってあまりにもできすぎた事件は、それ自体に作為性があるのではないかなどと勘ぐってしまうが、知事はこれを効果的に使えば県政でもそれなりのイニシアチブが取れるのではないかと思う。どうせオリンピックが終わって、しばらくは頼んだって大きなお金の落ちるイベントがありえない以上、次の変化のための胎動期としては今しかないといえなくもない。

さて、では逆に、この知事選だけでなく東京 21 区の補欠選挙でも破れた既存政党側(ことに自民党)はどうだろうか。私見によれば政治に期待できないというのは自浄能力のない状況を指すが(まあ警察でも何でもそうだといえるが)、秘密裏に決められた内閣がいまだに国政の舵取りをしているというのは、別に与党にそれだけの理由や展望があるわけでもないだろう。単に自浄能力がないため、代替案もないまま迷走しているだけに過ぎない。

森首相はおかげでネットバブルの崩壊並にこの国での「内閣総理大臣」という看板の値打ちを下げているが(それをいえば官房長官もか :-))、だからといって私は日本中が叫んでいる「森内閣すぐ辞めろ」とは思わない。むしろ、ここまで来たら迷走を続けてもらい次の選挙で大敗してもらうべきだろう。ここでまた中途半端に首相が代わったりすると、選挙でも中途半端に与党が生き残り、また同じことの繰り返ししか生まないだろうからである。だから私には現時点の森首相に対して、つけるべき注文というものが見当らない。放っておいても失言を繰り返してくれそうだし、それこそが「新風」のための原動力になる。森首相でなければ長野県の 20 年に匹敵する変化の土壌を短期間に作るのは難しそうだからである :-P

# たまには時事ネタということで。