ネトウヨの言説に耳を貸す必要がないことについて
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editor | 唯野 |
2018.3.30 | 公開 |
2018.3.31 | 修正 |
森友問題が絶賛炎上中である。公文書改竄という事実を財務省が認めたためだが、なぜこれで内閣が責任を取って総辞職しないのか全くもって理解に苦しむ。
いうまでもないが公文書偽造は懲役10年以下の重い犯罪である。当然だ。公文書の内容を勝手に変えてよいのなら、あらゆる公文書への信頼性がなくなる。例えば運転免許証を本人確認のために使うこともできないし、税金を含めた国家予算も本当に正しいのかどうか判断できない。つまり、勝手に他人を騙ったり税金を払わなくてもよいことになってしまう。
安倍首相は自身や夫人と森友学園との恣意的な関係はないと強弁しているが、誰もそんな風には思っていないだろう。その反論には、これだけの関与を伺わせる状況を覆せるだけの説得力がない。そもそも、本当に関与がないのなら改竄も不要、加計学園を含め似たようなケースが出てくるはずもないし、機密文書をわざわざ期限を無視してまで早期に破棄する必要もない。役人の忖度が全て首相や夫人の関与をわざわざ消す方向にだけ働いているからである。
一連の流れの中で私が最初に驚いたのは、昨年、夫人との関係が取り沙汰されたとき、首相が「夫人は公人ではない」ということを閣議決定した報を聞いたときである。ファーストレディという時点で公人というのが社会通念だと思うが、それを覆すためにわざわざ閣僚を集めて閣議決定したというのには本当に驚いた。日本の政治のトップを集め、他の政治的課題を押しのけてまで決めなければならないほど、それは重大なこと、それ以前に日本の政治家はヒマなのだろうか ? 私にいわせれば、夫人の扱いがそれほど重要ならば、それこそ夫人は公人といわざるをえず、そもそも公人であろうとなかろうと、それが原因究明のための鍵を握るのであれば国会の証人喚問に応じるのが責務であろう。
加えて呆れたのはこれに連なるネトウヨの言動である。彼らは朝日新聞が公文書改竄を報じたとき、一斉にそれを非難しひどい言葉を吐いていた。言葉の内容がヘイトスピーチに抵触するようなケースもあったと思うが、私自身はそういう発言をすること自体は問題にしない。なぜなら日本は民主主義国家であり、言論の自由は憲法で保障されている。それが自分とは異なる考え方であろうと、個人の信条そのものは尊重されるべきだと考えるからだ。
しかしながら、ネトウヨの言動でおかしいのは、自分が敵と認定した朝日新聞などを徹底的に攻撃して謝罪などを求め煽っておきながら、財務省が改竄を認め逆に自分たちの主張こそ間違っていたことが明白になっても、それまで自分たちの行っていた発言に対しては、謝罪や撤回、反省をしていない点である。つまり、相手には一方的な非難を行ない改竄を誤りとして認めろと主張しておきながら、自分がそれを求められる状況になると、それを行わない。
実はこれは安倍首相の態度にも共通する点である。要は自分にとってだけ都合よく解釈した主張を繰り返している。でも残念ながら、それは民主主義的な公平性に鑑みてフェアではない。そして当たり前なのだが、フェアな対応をできない者に対して、その相手だけがフェアである必要もない。だから、そもそも、このような公平性を欠いた相手の主張に耳を貸す必要もないということになる。
彼らは自らの誤りを認められないという点で幼稚なのだろう。そうとしか思えない人物が首相になり、そういう人物を崇める教育機関(!)を作るために、そういう人物自身は関与してないといっているらしいが公平性を排除した特例が認められ、その学校では教育勅語(!)が朗読されていたという。でも、首相やネトウヨの行為はそれこそ教育勅語にある「博愛衆に及ぼし学を修め業を習い以て知能を啓発」する行為とも一致していない。
ただ問題は、そのような公平性を欠いた発言であっても、それが繰り返されると、そういう発言でも一定の効果や影響力を及ぼしてしまう点である。その点でも、この種の発言はフェアではない。それはさすがに良くないと思ったので、こんなことを書いてみました。