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タレント議員

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editor唯野
2001.7.31公開
2004.7.15修正
2020.2.25文字化け修正

参院選が終わり、大方の予想通りというか自民党が勝利した。そして勝因といえば、やはり小泉首相の高支持率ということになるのだろう。が、私にいわせれば別に小泉氏に特別な政治的手腕があったわけでもない以上、この人気の真の立役者はむろん本人などではなく森前首相その人である。要するに森首相の後任ならば誰でもそこそこの支持率になるのは当り前なのであり、そこに改革風を吹かせればあの異常な値近くになるであろうことも何ら不思議ではない。だから、首相自身の実力だけによる支持率でもない以上、それを真に受けて高支持率をそのまま高期待感へとつなげるのは論理の飛躍である。

そもそも小泉政権の第一の目的は参院選の勝利にあったわけであるから、首相にとってみれば人気の維持こそが最大の目的となるのも自明の理だ。だから、裁判で控訴を棄却しようが、田中外相が何を言おうが、その程度のリップサービスで選挙が勝てるのであれば安いものだというのが本音であろう。マスコミなどは田中外相の進退問題をさも一大事のように取り上げていたようだが、その伝でいけば彼らが参院選までに更迭されるなどということはあるはずがないのであり、そう見るならばそれ自体が一種の茶番に過ぎない。

だから、むしろ小泉氏が本気で痛みの伴う改革(もちろん、それは、まず第一に自分にとってのものでなければならない)をするというのであれば、絶対に更迭されようのない参院選までに何をいい実行するか――にこそ私は注目していたし、それは田中外相に関しても同様であった。しかしながら、結局は改革の雰囲気を演出するばかりで具体策が見えず、その間、森前首相の路線をそのまま継続していたわけであるから、私にしてみれば参院選が終っても過度の期待をするのは禁物だなと思うのである。

しかしながら、それとは別に今回の選挙を見て思ったのは、タレント候補者の異様な多さについてであった。タレントが議員になって当り前の御時世だというのであれば、さしずめ議員をタレント化したのが今の首相ということになるのだろう。(いずれにしても結果は同じである。)私は小泉氏が首相になったと知ったとき「自民党はこれでカードをほぼ使い切ったかな」というのが最初に感じたことだった。後に思い浮かぶのは田中外相ぐらいだからである。(でも彼女の場合は日本憲政史上初の女性総理になるかもしれないからインパクトは今よりあるかも :-))とはいえ、私は別にタレント議員が悪いなどという通俗的な議論に関心はない。なるほど、筑紫哲也氏などがいうように「強烈なリーダーシップ(個人)に率いられる政治が真の民主主義といえるのかどうか」という懸念はないわけでもないが、私はむしろ次のことを指摘したい。

それは、タレント候補者が野党に多かったということであり、野党の取り上げられるときはタレント候補者を媒介にすることが多かったという点である。そして、私が今更ながらに驚いたのは、55 年体制の崩壊以降、新党だの何だのと政界で変動の起るたびに分派を興したりタレント化なりした政治家というのは、結局のところ自民党からしか現れていないじゃないかということである。政界が総保守化しつつあるなどという以前に、そこからしか流れが生まれておらず、野党側が守勢に回るという立場の逆転が起っているのだ。

考えてみれば、(よくいわれるように)自民党が与党になることを目的とした政党である以上、人材的に幅を持った構成となるのは当然の帰結なのかもしれないが、派閥による弊害などの一方で、やはりそれこそが自民党の最大の強みなのだと今では思わざるをえない。議員のタレント化の是非はともかく、党首くらいしか注目されず後は顔が見えない、または一枚岩にこだわりすぎる野党と、結果的に柔軟性を持った組織になっている自民党とでは、差ははるかに大きいといわざるをえないからである。

それゆえ、自民党の今後がどうなるか、野党が躍進できるかどうかというのは、このような一種の「カード」となりうる議員の数というものにこそ着目すべきだと私は思う。つまり、必要なときに適切なカードを出せるかどうか、そのために将来を見越した組織の柔軟性ないしは奥行きがあるかどうかということである。その点で、タレントの是非という以前に、タレントさえも生み出せず外部から引っ張って来ざるをえない野党は、今回の選挙で敗れても仕方がなかったように思われるのだ。

そうなると、ポイントは自民党がカードを使い切ることで自民党でなくなるのと、野党がそのようなしぶとさを身に付けるのとで、どちらが早いかということになる。ところが、この点を考えると、私はあまり楽観的になることができない。いずれかがそうなる以前に日本の沈没する方が早いんじゃないか――というイメージの方にリアリティを感じてしまうからである。何しろ、昨年末の自民党における加藤つぶしは前者の進展であるように思えて、ちゃっかり時期を得て小泉氏が出て来る辺り、自民党も馬鹿じゃないなと思えてくるからだ。

ただ、いずれにしてもタレント化の進展は政策の背景化を必ず伴う。それゆえ、有権者が常に意識すべきなのは、やはり各党の政策として何が掲げられ、それがどう選挙後の活動として反映されたかという点だろう。もっと政治の評価が政策の成果を軸としたものとなれば、こんなタレント議員を扱った駄文はもとよりタレント議員そのものも姿を消すだろうからだ。

# 最後は正論過ぎますかね :-)