見田宗介
現代社会の理論
―情報化・消費化社会の現在と未来―
ガイド
書誌
author | 見田宗介 |
publisher | 岩波新書 |
year | 1996 |
price | 650 |
isbn | 0-430465-2 |
履歴
editor | 唯野 |
2001.6.8 | 読了 |
2001.12.6 | 公開 |
2002.1.6 | 修正 |
2020.2.25 | 文字化け修正 |
現代社会を読み解くためのキーワードとして情報化と消費化社会を軸に論じた本。この視点は私ももっともだと思うし、だからこそ手にしてみた一冊である。しかしながら、著者自身としては、この立場に対する研究はこれで終わりというわけではなく、むしろこれは全体の中では序章的な位置付けということらしい。
それはともかく、本書の大きなポイントのひとつは単なる現状分析に留まらず「<自由な社会> という理念をシステムの原理として手放すことなく、-/-(現在の社会が持つ:唯野注)不幸と限界を、どのようにのりこえることができるだろうか」(p.124)というところまで論旨を踏み込んでいる点にある。私も現在の消費社会が永遠に続けられない以上、「それではどこで折り合いをつけるか」が非常に重要になってくると思うが、この点でも「社会自身の持つ自由性」というのが起点になるであろう点では同感だ。その上で著者は「情報」による新しいかたちでの消費需要の創出という立場を取っているが、私はそこまでの積極的な転換が現実にできるかどうかという点で若干の疑問がある。それよりは個人の情報発信としての幻想の広がりが、そのまま消費の一形態となってしまうような感じがする。なぜなら著者が端的な指摘をしているように、消費というものは幻想性を覆い隠すためである。
# 続巻のようなものが既にあるのであれば、また読んでみたいと思う。
# また、これに対して感じたことを、ちゃんと文章にしたいとも思う。
抄録
10-11
戦後における社会主義体制が提示する、資本の拡大による生産力の需要の超過とそれを避けるための軍需という理論の破綻について。確かに資本制は周期的な恐慌を繰り返してきたが、戦後では一応の持続的な成長が続き古典的な意味でのパニックには見舞われていない。
12/13/16/21
50 年代のアメリカでは国家の介入ではなく、その縮小の結果としての「豊かさを消費者の自由な欲望を通して実現する」消費社会化が、従来の「管理」と機能的には同じものとして働いた。つまり、管理化と消費化は互換し合うものとして現在の資本制における繁栄を実現してきた。そして、それは軍需に頼らない繁栄であり、より包括的な管理システムということができる。
22/25/27/35
このような時代の前段階として「情報による消費の創出」の幕開けがあった。例えば T 型フォードは「作るよりも売ることの難しい商品」という時代を生みだした。そして購買の回転を早くするためのモードに対する自己否定。また、「車が外見で売れる」という GM の戦略は「外見には決定的なものがない」という無限の容量の持つ市場を見い出した。即ち情報による欲望の創出。