田中優子、松岡正剛
日本問答
ガイド
編集工学と江戸学の交わり
書誌
| author | 田中優子、松岡正剛 |
| publisher | 岩波新書 |
| year | 2017 |
| price | 940+tax |
| isbn | 978-4-00-431684-8 |
履歴
| editor | 唯野 |
| 2025.12.8 | 読了 |
| 2025.12.29 | 公開 |
最近読んだ本の中では白眉。関心だけはあって放っていた朱子学-陽明学-国家神道を日本人の明治期における身体性・多様性の喪失として語る部分は圧巻である。個人的にものすごく乱暴にまとめれば、本書には換骨奪胎(かんこつだったい)という言葉が何度が登場するが、そういうデュアルな併存を許す融通無碍な部分こそが、日本の大きな特質の一つということになろうかと思う。(当たり前だがそれが正しいとかという議論ではない。西洋とは異なる多様性をどう捉えるかということである。)
むろん、松岡正剛の編集工学と田中優子の江戸学も存分に語られており、それだけでも面白い。松岡正剛も亡くなってしまったが、インターネットとAIのある現代においては、もはや彼のような知識人は生まれないだろう。彼の高みに達するにはとんでもない量のインプットと、それに対する専門家とは異なる視点が必要だと思うが、今日ではそこまでの高みを求めなければ、ネットやAIがいくらでも相応の答えを一瞬で出してくれる。そのため、その簡便さの壁を越えるのは、至難を超えてもはや不可能に近い。かういう私自身もそうであるし、むろんいつの世にもすごい人はいるのだろうが、これからの時代では彼のようなタイプの人は現れないように思えてならない。
通俗的な中国批判、明治以降のナショナリズムの底など簡単に割れるのがよく分かる。こうなると必然的に『昭和問答』『江戸問答』も読まねばなるまい。
抄録
i-ii
難問は、日本という国がどんな価値観で組み立てられてきたのかということだ。ふつう、国のことを考えるには精度の歴史や経済指標や人口構成比の推移をみるのだが、むろんそれだけで国のあり方は見えてはこない。そのときどきの書簡や日記、生産物や工芸品、文芸や遊芸も国を雄弁に語っている。だから、この対話ではかなりいろいろな話題を摘まんだ。神仏のこと、儒学やキリスト教のこと、国学や国体のこと、着物や文芸のことなどを交わした。
最も重視したのは、この国が「内なる日本」と「外なる日本」を異なる様相をもって歩んできたということだ。中江兆民が「日本人には恐外病(きょうがいびょう)と侮外病(ぶがいびょう)がある」と言ったように、われわは「外」を意識しすぎてきた。そのぶん奇妙な内弁慶をかこつ国になった。そのぶん文化を爛熟させもした。なぜそんなふうになったのか、その主要な原因はどこにあったのか。二人はそのことをさまざまな視点を混じらせて、交わした。
2
松岡 日本は「内」と「外」をどういうふうに見てきたのかということです。
田中 きっと日本は「外」を何らかのフィルターを通して何度も梳(くしけず)ってきたんですよ。
