メモの効能
最近思うのだが、メモというものは何のためにあるのだろうか。私はこれまでメモというものを「忘れないため」につけるものだとばかり思っていたが、実はこれはあまりに短絡的なのではないかと思うようになった。なぜなら、頭の中では忘れてしまうからこそメモをつけるのであり、忘れないような頭ならばメモなど始めから必要ないからである。
そうやって考えてみると、メモというものは「忘れないための」というよりは「忘れてもよいための」といえるのではないだろうか。考えてみれば、いちいち細かい物事を忘れないためだけに労力や努力を割くなど馬鹿馬鹿しい。必要なものは書き留めておいて後は忘れてしまい、そういうことに気を取られることなくやるべきことをやる。そういう眼前のものに集中できるというのがメモをつけることの本当の効能といえるのではなかろうか。しかし、そうやって考えてみれば、このことは必ずしも「メモ」の一事に限らないものであることも自明である。なぜならメモをつけることは、作業の優先順位づけということまでを意味しているからだ。